横浜なのに「巨大団地群」華やかな港町の裏にある街のリアル 高齢化率約30%、都心まで60分…持続可能な郊外住宅地を目指す「洋光台」の今

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全市的な良質な住宅地形成の要請と鉄道建設計画。この2つが結びつき、根岸線沿線は計画的住宅地開発の好適地として浮上した。そして、63年策定の「横浜国際港都建設総合基幹計画(改定案)」に開発計画として根岸線沿線の住宅開発が明記されたのである。

洋光台の開発はこの頃に始まった。地域住民が小学校建設を要請したことが発端だったという記述もあるが、根岸線建設がこの地での住宅造成を決定づけたことは間違いない。開発は63年の土地買収から始まった。最終的には土地区画整理事業として実施されたが、一般的な換地を中心とした手法とは異なり、洋光台では土地買収が中心であった。

「洋光台」という名前の意外な由来

事業開始時は住宅造成で生まれる団地の仮称として、横浜市編入前の旧村名「日下(ひした)村」から「日下(くさか)団地」と名付けられていた。そこに「洋光台」という名前が現れたのは65年策定の「横浜国際港都建設総合計画」である。この計画では現在の港南台地区も含む約550ヘクタールの「合理的なニュータウン」建設が「洋光台団地の建設」として明記された。

洋光台という地名は、「日下」を改称して行政主導で名づけたものだ。由来としては、作業員が朝に洋光台エリアから港を眺めたとき、朝日があまりにも美しかったことから「洋光台」という名前にしたとされる。

土地区画整理事業は66年から本格化し、約200ヘクタールの土地が整備されていった。70年、根岸線の磯子駅から洋光台駅の間が開業すると同時に、公団分譲・賃貸住宅への入居が始まる。73年の土地区画整理事業完了までに、現在に至るまちの骨格は定まった。

鉄道とセットで進められた住宅地の大規模開発という洋光台のモデルは、その後、同じく根岸線沿線の港南台、本郷台、そして横浜市北部の港北ニュータウンの開発へと継承されていった。

ここまで洋光台の風景とまちの成立背景を見てきたが、ここからは今後の洋光台について考えていきたい。

造成から約50年が経過した洋光台が直面する最大の課題は、急速な高齢化だ。同時期に開発された住宅地では住民の世代が集中しやすく、一気にオールドタウン化する傾向がある。

実際、洋光台の高齢化率は2000年の16.2%から20年には31.3%へと倍増し、磯子区全体(27.0%)を大きく上回る。一方、15歳未満の人口割合は9.3%にとどまり、区全体(11.3%)より低い。高齢化が進む一方で若年層の流入が少なく、このままでは地域の持続可能性が危ぶまれる状況だ。

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