悩んでコケて挑戦して 哲人経営者、最後の勝負(下) 小林喜光 三菱ケミカルホールディングス社長
<(中)より続く>
焦げ付きで即、窓際に飛ばされた営業担当の奥川は事業部長の小林にも応分の責任があると思っている。小林は小林で「奥川から事前に一言も報告がなかった。あれで俺の人生終わった、と思ったもの」。二人は1年間、口も利かなかった。
ところが、「十戒」の事業再建に当たって、小林はあらためて奥川を右腕として登用した。奥川は思う。「普通、窓際に飛ばされた人間は使わない。1回失敗したらダメ人間の烙印を押される。でも、ダメ人間でも挽回が利くというマネジメントなんですよ。だから小林は信頼される」。
自らコケ続けたから、小林は失敗した人間の痛み、悔しさがわかるのだろう。小林が言う。「1回でアウトというのは絶対、もったいない。人間、そりゃ(失敗は)しようがない。失敗したということは、そこで勉強もしているわけだから」。
保守本流に構造改革のメス “コロンボ”との信頼関係
それにしても、天は小林に悪意を持っているのだろうか。小林の社長就任を待ち構えていたかのように次から次に災厄が襲いかかった。
07年12月21日。茨城県神栖市の鹿島事業所でエチレンプラントの火災事故が起こった。死亡者4人。「社長はいつお辞めになるんですか」。連日、新聞記者が押しかけ、いきなり崖っ縁に立たされた。
そして08年9月のリーマンショックである。需要が急減し、09年3月期は赤字転落。「このまま放っておいたら、会社は潰れる。やっぱり、やるっきゃない」。以前から海外IR(投資家向け広報)で欧米を回ると、アナリストたちからとことん攻め立てられていた。「中東でタダ同然の原油や天然ガスを使うプラントがどんどん稼働している。日本が割高の原油を輸入して石油化学をやる意味があるのか」。