50代で「リストラ」された孔子と、完璧なマニュアルを残したマーニー…歴史が教える事業継承のパラドックス
孔子の死後、弟子たちは四散しましたが、孟子や荀子といった優秀な卒業生たちが、師の教えをそれぞれの時代に合わせてアップデートしていきました。さらに漢の時代には、董仲舒(とうちゅうじょ)という人物が孔子の教えを国の統治ロジックにまで昇華させます。
孔子がすべてを決めなかったからこそ、後世の人間が自由に拡張できた。これが、孔子のブランドが数千年も続いた勝因と言えるでしょう。
マーニーの完璧すぎたマニュアルの罠
一方、3世紀にマーニー教を創始したマーニーは、孔子とは対照的です。彼は教義、組織設計、資金調達、果ては広報用の絵画制作に至るまで、すべての業務を1人でこなすマルチタレントな創業者でした。
彼は、当時のサーサーン朝ペルシア皇帝シャープフル1世に直接プレゼンを行い、その才能を認められて帝国全土での布教許可を勝ち取ります。本書ではこれを、「一世一代の政府向けトップ営業」による成功と解説しています。
マーニーのすごさは、その「完璧主義」にありました。彼は、自分が死んだ後に教義がブレないよう、聖典から儀式の作法、教団の運営ルールに至るまで、すべてを自分で書き残しました。いわば、誰が店長をやっても同じクオリティーが出せる「完璧なフランチャイズ・マニュアル」を作り上げたのです。
このシステムのおかげで、マーニー教団は急速に拡大し、一時はローマ帝国で大流行するなど、世界的な「メガベンチャー」へと成長しました。



















無料会員登録はこちら
ログインはこちら