「いま私は夢の国におります」 朝ドラ「ばけばけ」小泉八雲が来日早々に職を失ったワケ
インクワイアラー社では事件記者として名を馳せたが、ニューオーリンズでは文学者として注目されたようだ。新しい新聞『タイムズ・デモクラット』紙に移ると、ハーンには文芸部長のポジションが与えられた。
活動の幅を広げるには、思い切って環境を変えてしまえばよい。背中でそう語るようなハーンの大胆な行動が、やがて人生を大きく変える「来日」へとつながっていく。
32歳で新聞社を退社して著述活動に専念
文芸部長として、国内・海外の文学作品を評論しているうちに、ハーンはキリスト教文化圏以外の神話や民話へと惹かれていった。
初めての著書として、フランスの小説家テオフィル・ゴーティエの翻訳本『クレオパトラの一夜 その他』を出版すると、覚悟を決めたようだ。32歳で新聞社を退社。筆一本で生きていくことになる。
メキシコ湾内のグランド島へと赴くと、ハーンは1カ月ほど滞在して『チータ』という小説を書き上げた。嵐で浜辺に流れついた主人公チータを、カルメンという女性が乳母となり育てる物語だ。
続いてハーンは小説『ユーマ』を発表。この作品では、黒人奴隷のユーマが白人家庭に乳母として雇われるが、自らの命を犠牲にしてまで雇い主の子を守る……という物語となっている。
いずれも「母性」がテーマとなっているのは、ハーンが幼い頃に母と生き別れになったことと無関係ではないだろう。母あるいは乳母と子の別離の物語を描くことで、自分の幼少期にある意味、決着をつけようとしたのかもしれない。
この2作を発表すると、小説から紀行文へとフィールドを移す。もちろん、自身の環境を変えることは、いつもセットだ。
今度はカリブ海のマルティニーク島や西インド諸島に、2年にわたって滞在。クレオール文化の調査・研究を行い、紀行文を書いたところ、『ハーパーズ・マンスリー』誌に掲載された。連載は好評を得て、『仏領西インドの二年間』という作品としてまとめられることになる。



















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