「いま私は夢の国におります」 朝ドラ「ばけばけ」小泉八雲が来日早々に職を失ったワケ
「当時、私はめったに名前で呼ばれなかった。ただ“The Child(あの子)”と呼ばれていた」
ドラマでは回想シーンで、過去のヘブン先生が「母親をほとんど知らないんだけど」と話す場面があった。実際にも両親との関係は極めて希薄で、父親とも顔を合わせたのは生涯で5回ほどだったという。
身を寄せた先の大叔母にも大切にしてもらえず、ハーンは19歳のときに単身でアメリカに渡る。職業を転々としながら困窮した日々を送り、新聞記者という職をつかむまでは、苦しい時期が続いた。
ニューオーリンズでは文芸部長として活躍した
これまでの苦労があるだけに、記者として上司にも読者にも高く評価されたことは、ハーンにとって、無上の喜びだったに違いない。
混血の女性との結婚を問題視され、社から追い出されてしまっても(前回記事参照)、「書く」仕事への思いは失われなかったようだ。いや、理不尽な解雇がなおさら、ハーンに筆を走らせたといってもいいかもしれない。
ニューオーリンズに渡ると、しばらくは定職に就くことはできなかった。印刷業者ヘンリー・ワトキンに、手紙でこんな愚痴をこぼしている。
「滞在7カ月目にして、この町ではただの1セントも稼げない」
ワトキンは、 路上生活者同然の生活をしていた、 アメリカに来たばかりのハーンに手を差し伸べてくれた恩人である。ハーンの文面から「また、あの頃に戻っちゃったよ」という思いがにじみ出ているようだ。
しかし、あの頃と違うのは、記者としての成功体験があることだ。ハーンは『アイテム』という新聞の編集助手の仕事を得ると、フランスの小説の翻訳や書評を手がけて、たちまち頭角を現していく。



















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