「"自己責任"時代のアイドル」「あまりにハイリスクなプロジェクト」 20周年を迎えた《AKB48》が歩んできた"残酷すぎる"アイドル道

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しかし容赦なく「AKB48グループ総監督」をメンバーが担うなど、責任が次々と増えていった。初代の総監督に任命された高橋みなみはきっと、「総監督ってなに?」と思ったのではないだろうか。

ファンによってAKB48のシングルの楽曲を歌うメンバーを選ぶ「総選挙」といったグループ内の競争は過激化し、その努力と疲弊、パニックさえもドキュメンタリーとして公開された。

AKB48
現役メンバーとのMV撮影に参加した前田敦子(写真右から2番目)。不動のセンターとしての存在感を放つ(画像:前田敦子公式Instagramより)

今思い返しても、あの熱量に圧倒される。エンタメは心浮き立つものだけではなく、ヒリヒリと痛い種もあるのだと知った。美しくて残酷な青春だった。

芸能界で戦うため団結しながら、グループ内で競うという異例の「二重競争社会」で生きたメンバーたち。ブログ・SNSも解禁され、指原莉乃という、これまでにないルートでアイドルの頂点に上り詰めるプロセスも観ることができた。

また、前田敦子という、日本一の人気者であり“嫌われ者”というすさまじいアイドルの在り方も知った。

ヒステリックで自分に厳しく、強く、孤独。それを眩しく見つめ、嫌悪感も時に抱いたし、謎の罪悪感も湧いた。前田敦子がAKB48のすべてを体現していた。

平成中期は、少女たちの戦いで経済が回っていたと思う。

次は日本初「男性グループの専用劇場」が誕生

そんな秋元康は、新たなアイドルの総合プロデュースを手がけるべく、「シアターボーイズグループ オーディション2025」(エントリーはすでに終了)を開催。26年4月にメンバーが発表され、夏に専用劇場がオープンする予定だ。開設地は東京・お台場の「ダイバーシティ東京 プラザ」。

男性グループの専用劇場は日本初。再び、秋元によって時代の予定調和は壊され、音楽シーンに、美しく残酷な「青春」が始まるのだろうか。

田中 稲 ライター

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たなか いね / Ine Tanaka

大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。個人ではアイドル、昭和歌謡・ドラマ、世代研究、紅白歌合戦を中心に執筆。著書に『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)、『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)がある。

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