「"自己責任"時代のアイドル」「あまりにハイリスクなプロジェクト」 20周年を迎えた《AKB48》が歩んできた"残酷すぎる"アイドル道
「審査員が一人でも『この子いいね』と言ったら、他の全員が『えー!』と言っても必ず合格させます。なぜなら、その人と同じ感覚で『いいね』と共感してくれるファンが必ずいるからです」(日経ビジネス電子版「秋元康氏、革新を起こし続けてきた男の頭の中」17年4月3日)
読んでも「えー!」と声が出た。オーディションというより、チョイスという感じである。
“特別なスター性を持った子”を選ぶのではない。この点に関しては、70年代、数多くのスターを生み出したオーディション番組『スター誕生!』の企画意図とも、通ずるところがある。
阿久悠著の『「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 夢を食った男たち』(文春文庫)には、阿久がオーディションに賭けたこんなくだりがある。
「『できるだけ下手を選びましょう』その言葉は、オーディションに賭け、新時代を夢見たぼくの、悲痛な叫びでもあった。(中略)」
極端なことを言うと、見たこともないタレントを発見したかったわけで、その見たことがないが何なのか、掴みきれないための悶えであった。
「世の中の人は常に見たことのないものを欲しているんだよね」
秋元も、前出のインタビューでこう語っていた。
AKB48は成長過程もサバイバルもそのまま見せた
70年代、新たな時代のエンタメを目指した阿久と、平成の半ば、秋元が仕掛けた挑戦は、同じく「大衆の心の飢えをどう満たすか」だった。ピンク・レディーやAKB48は、まさに私たちが無意識に求めていた、時代の「ご馳走」であったのだ。
もちろん、阿久悠と秋元康が生きた時代では、大衆がエンタメや流行歌に求める濃度に大きな差がある。



















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