「"自己責任"時代のアイドル」「あまりにハイリスクなプロジェクト」 20周年を迎えた《AKB48》が歩んできた"残酷すぎる"アイドル道

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70年代、阿久は、アイドルに徹底的に世界観を作り上げ、きらめきでコーティングし表に出した。

00年代半ばは逆。AKB48は成長過程もサバイバルもそのまま見せた。特に03年頃から、地下劇場やライブハウスで、アイドル(の卵)たちのサバイブが激化した。

AKB48もその時流に乗り、選抜メンバーになっても、いつ後列になるかわからない。まさに「エブリデイオーディション」システム。努力し疲弊していく姿もファンに見せるパフォーマンスの1つとなっていく。

AKB48の「Beginner」(11年)という印象深い曲がある。「僕らは夢見てるか?」と問いかける。自問自答だ。

85年、無防備ながらどこか無責任さがあった(そこがよかった)おニャン子に比べAKB48の人気メンバーはどこか自信なさげで、努力しても自分に満足しない。

「“自己責任”時代」のアイドル

その最たる存在が、初代センターの前田敦子だった。だからこそセンターに選ばれた、とも言えるだろう。「私なんてセンターに向いていない」「無理」と言いながら、大人たちが考えるハイリスクなプロジェクトに、前田をはじめ彼女たちは乗り続けた。

見ていて「なんでそこまで」と何度思ったことだろう。なんというか、グループ全体で、暴走するメリーゴーランドに小指1本で掴まっているくらいの危なっかしさだった。

その姿から見えてくるのは「自己責任」。インターネットの広まりによる個人主義もあいまって、00年を過ぎたあたりからどんどん広まっていった言葉だ。

売れないのは自分のせい。大人が計画したものでも、失敗、炎上したら自分のせいと責める。リベンジするため、仲間との競争に挑んでいく。気の休まらぬループである。

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