「若いうちは東京で働くのもアリか…」→「この街を離れたくない」 就活失敗で失意の上京、23歳彼女が選んだ「ゆとりのある街」で起きた"大変化"

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コルティにはテナントと同じくらいの面積で外階段が設けられ、開放感がある。客の大半はエスカレーターを使うわけだけれど、階段には子ども向けのイラストが大きく描かれていて、「なんて余裕ある作りなんだろう。私が担当なら、ここも店舗で埋めるのに!」と何度か空想したものだ。

子どもたちが手を引かれてこの階段を駆け上がっていく姿もそうだし、屋上ひとつを取っても、花壇に囲まれたベンチや夕日を見に人が集まる空気感、冬に飾られる大きなクリスマスツリー、そうしたものが経堂にゆとりを感じる理由かもしれない。

経堂は、チェーン店だけでなく個人飲食店も充実している。社会人2、3年目になると生活に余裕が出てきたので背伸びして仕事終わりに1人でワインを飲み歩いた時期があった。お気に入りは、すずらん商店街を5分進んだところにある海鮮推しのイタリアン「TOSHIYAヴェルデ」だ。

東京で最初に住んだ街 経堂
おしゃれな個人店が多いのも、経堂の魅力のひとつだ(筆者撮影)

生牡蠣や鯛のカルパッチョなど旬の食材を楽しめて、1人で入ってもほどよく話しかけてくれ、食事に合うワインを出してくれた。「最近、ドラマ撮影で使われまして……」なんて話に、知らない世田谷の一面を見られた気がして高揚した。

東京で最初に住んだ街 経堂
仕事終わりに1人で飲んだ日(筆者撮影)

この頃は、「ワインのわかる人ってかっこいいよね」みたいな、20代で一度は行き着く価値観に影響されてインプットを試みていた。トスカーナとかボルドーとかの新たな知識は、田舎から出てきた平凡な24歳である自分を強くしてくれる気がした。あのときおいしいと思ったワインは、もう1つも覚えていないけれど。

経堂を離れても、経堂を恋しく思う

結局、経堂には6年住み続けた。その間に友人が何度か引っ越したのを横目に、私自身は、同じルートを歩いて帰ることに少しずつ飽きを感じてはいたものの変化を求めるほどでもなく、「なんていい街に住んでいるんだろう」と誇らしく思って過ごした。

東京で最初に住んだ街 経堂
たい焼き屋「小倉庵」は日替わりメニューがあって、横を通るたびに楽しみにしていた(筆者撮影)
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