「若いうちは東京で働くのもアリか…」→「この街を離れたくない」 就活失敗で失意の上京、23歳彼女が選んだ「ゆとりのある街」で起きた"大変化"

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東京の通勤電車は恐ろしく混むと聞いていたが、「オフィスがある表参道まで直通15分。それならギリ耐えられるんじゃないか」と思ったのだ。

東京で最初に住んだ街 経堂
洗練された雰囲気。この駅前に惹かれた(筆者撮影)

引っ越してすぐサンマルクで1人モーニングを決めていたところ、隣の席に座ったカップルが標準語で口論をしていて、「じゃん」の語尾になんとも居心地の悪さを覚えた。

東京で最初に住んだ街 経堂
駅前にあるサンマルクカフェ。経堂民の憩いの場のひとつだ(筆者撮影)

当時の私は「経堂」のイントネーションも関西でいうところの「京橋」ノリで発していて、職場の先輩に3度は直された。平坦な読み方、おかしくない?と内心モヤモヤしたものだ。

今ではなんとか標準語を獲得したが、徳島、大阪、東京と移り住んだせいで、時々喋りでイントネーションがごちゃつくハンデを負った。

大家さんからお米の現物支給…東京で感じた人情と商売っ気

経堂に6年住み続けた理由の1つに、賃貸で住んだのがスペシャル物件だったことがある。

大家さんがおそらく地主で、1年に3、4回お米をくれるのだ。1階の掲示板に張り紙がされて希望した人の玄関前に置かれる仕組みだった。職場の先輩に話すと「それ完全に、カスタマーサクセス※じゃん!」と言われて笑った。

※カスタマーサクセス:Webサービスなどにおける、継続利用促進のための取り組み

東京で最初に住んだ街 経堂
当時の写真。12月に届いたときは、「クリスマスプレゼントだ笑」とわくわくしたのを覚えている(筆者撮影)

地方から1人で上京した身にとってお米の贈り物はありがたく、なるべく感謝が伝わるようにと、LOFTでかわいい便箋を買ってお礼を書いた。もちろん、大家さんのご厚意だったのは間違いないが、「東京に対して怖い気持ちもあったけど、ここは人情のある街なのかもな」と思えた出来事だった。

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