名古屋・西区が"駄菓子メーカーの聖地"である理由 老舗が挑む「高級ギフト」「異業種コラボ」の次の一手

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経済産業省の調査によると、2021年の愛知県における菓子類の年間商品販売額は491億2900万円と、東京都に次いで全国2位。駄菓子に多い「あめ菓子」や「ビスケット類、干菓子」の出荷金額は全国1位だ。

その歴史は古く、名古屋城を築城する際に全国から集められた職人たちに菓子を売ったのがはじまりという説もある。また、全国的に物資が不足し、人々は食うや食わずの生活をしていた終戦直後になぜか名古屋には当時貴重だった砂糖があったらしい。その配給でキャラメルなどを作ったことが名古屋市内の駄菓子メーカーが創業するきっかけとなった。ちなみに名古屋名物の「ういろう」も腹持ちがよいことから同時期に作られた。

愛知県は全国屈指の駄菓子王国であるのは間違いないが、令和の時代に入ってから「いちごミルクキャンディ」のアメハマ製菓(一宮市)や「花串カステラ」の鈴木製菓(名古屋市西区)、「糸引き飴」の耕生製菓(豊橋市)などメーカーの廃業も相次いでいる。廃業の理由は、原材料費の高騰や工場の老朽化などが挙げられる。

原材料費の値上げで、真っ先に浮かぶのが米だ。おせんべいやあられなど米を原料とするお菓子も多い。米に圧力をかけた後に一気に開放することで膨らませて、砂糖や醤油、塩などで味付けした「ポン菓子」もその一つ。

筆者が子どもの頃は、近所の空き地で実演販売をやっていて、米を持っていくと手間賃でポン菓子を作ってくれた。圧力を抜く際の音は「ポン!」なんてかわいいものではなく、「ドカーン!」という爆発音。子どもの自分にとっては恐怖でしかなかったが、できたてのポン菓子のおいしさに救われた。

ポン菓子に付加価値を与えたい

愛知県・知多半島の先端に位置する南知多町にポン菓子を製造する家田製菓がある。食品工場に勤務していた家田保氏が1981年に創業した。

「その頃はすでにポン菓子は下火になっていたと思います。実演販売も保健所の許可が必要になりましたし、音の問題もありました」と話すのは、保氏の妻で10年前に経営を引き継いだ社長の家田馨子さんだ。

工場内ではできたてのポン菓子に砂糖や醤油などを煮詰めたタレを絡めて「おこし」を作っていた。見せてもらったのは円柱型だったが、球体型やおにぎり型など客のニーズに応えるべく、独自の技術で開発した商品もある。現在は自社の商品とOEM商品を半々の割合で製造している。

家田製菓
家田製菓の家田馨子社長。製造直売の「ぽんかふぇ」にて(筆者撮影)
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