ドラマ『ふてほど』『もしがく』描く"1980年代"はまったく違う? なのにどちらも「50代に刺さりまくる」ワケ

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80年代というコンプラが緩かった時代を人身御供ならぬ設定御供にし、委縮する現代では言いにくいことを代弁してくれたし、逆に、昭和世代が今もやりがちな、デリカシーのない行動や、偏った価値観に改めてツッコミをいれることもできた。

26年のお正月SPでも、昭和世代は何かを再確認させられるはず。楽しみである。

ふてほど
『ふてほど』の純子役で大ブレイクした河合優実の演技も楽しみだ(画像:TBS『不適切にもほどがある!』公式サイトより)

「バブル直前」を描く意味

『もしがく』は84年、『ふてほど』は86年が舞台。その中間地点、85年7月におニャン子クラブが『セーラー服を脱がさないで』でデビューする。

彼女たちが運んできたのは、フツーの女の子たちが性を表現する “明るさ”。そして、ノリでなんでもやっちゃう軽さと消費感である。

一言で「80年代」といっても、おニャン子以前の、情熱をグーッと溜め込み、一発逆転を図る『もしがく』と、おニャン子以後の、ノリ重視な『ふてほど』は、かなりの温度差があることは事実。

それでも行動力があるのは同じ。あふれる感情を露骨に見せるのも同じだ。

11月12日に第7話が放送される『もしがく』でも、初日コテンパンに失敗しながら、久部(菅田将暉)は新たな幕を開けようと百面相で駆けずり回る。怒鳴る。そりゃもう図々しく暑苦しく!

87年になるとバブルによって世の中は浮かれ、88年に昭和が終わる。『もしがく』『ふてほど』が面白いのはその直前だからだ。

バブル期ど真ん中のような飽和感はなく、70年代のような重い大義・理想もない。「これからよくなっていく」という上昇期ならではの軽さと明るい情熱がある80年代中盤は、昭和の青春の終わりだったのかもしれない。

その中で、厚かましく正面突破する人と、巻き込まれる人たちのにぎやかな物語。彼らの失敗と立ち直りは、たった40年前なのにとても新鮮で、ちょうどいい刺激と勇気をくれる。ちょうどいい苛立ちも。

田中 稲 ライター

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たなか いね / Ine Tanaka

大阪の編集プロダクション・オフィステイクオーに所属し、『刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる警察入門』(実業之日本社)など多数に執筆参加。個人ではアイドル、昭和歌謡・ドラマ、世代研究、紅白歌合戦を中心に執筆。著書に『そろそろ日本の全世代についてまとめておこうか。』(青月社)、『昭和歌謡 出る単 1008語』(誠文堂新光社)がある。

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