ドラマ『ふてほど』『もしがく』描く"1980年代"はまったく違う? なのにどちらも「50代に刺さりまくる」ワケ

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そんな彼らは、シェイクスピアや三島由紀夫、俳優座について誇らしく思い出して話すのだ。

つまり『もしがく』は84年をリアルに生きている人たちではなく、少々限定された人たちが出てくる物語だ。一度何かを諦めた大人たちで、しかも、心のどこかで自分は普通と違う、と思っている芸術インテリ。そんな面倒な少数精鋭が集まる場所こそ、八分坂なのである。

きっと、この独特な閉塞感と、そこからあふれ出るような才気と熱量こそ、当時のリアルな小劇団の空気だったのだろうと思う。そして、その「諦め」と「大きな夢」が同居する“私は違う”という特別感は、少し現代の空気と通ずるところがあり、不思議と共感してしまうのだ。

もしがく
WS劇場のダンサーを二階堂ふみが演じる(写真:フジテレビ『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』公式サイトより)

中年層と若者に両ツッコミさせた『ふてほど』

対して、阿部サダヲが主演の『ふてほど』が描くのは、多くの人の思い出にある86年。当時のカルチャーや空気が湿気を伴って蘇り、むんむん臭ってくるほどだ。

阿部演じる主人公・市郎のコンプライアンスなんて関係ない“不適切っぷり”はもちろんだが、市郎の娘の純子やムッチ先輩といった、未成年の躍動がたまらない。聖子ちゃんカット! 『ブルージーンズメモリー』さながらの決め台詞! あの時代の中心の文化はティーンエイジャーのものだったと確信する。

ふてほど
当時のファッションや時代背景をリアルに再現していた(画像:TBS『不適切にもほどがある!』公式サイトより)

そういった当時の若者文化にまぶして、決して「あの頃はよかったなあ」だけでは語れない昭和を浮き彫りにし、おかげで賛否両論がパッカリと分かれた。

40~50代以上の中年層が盛り上がる一方、若い世代はえげつない昭和のパワハラモラハラぶりにドン引きする人も多かったという。

その反応も含め、『ふてほど』は時代の変化を知るリトマス紙として、大いに役立ったと言えるだろう。

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