高市・連立政権を待ち受ける「3つのシナリオ」 「自維」政権に迫られる選択は総辞職か総選挙か

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

もう1つ、別の視点で、連立政権崩壊の歴史をたどるのも重要ではないか。過去に3つのパターンがあった。

①衆院選勝利による連立解消(自民党と新自クの連立、自社さ連立)、②衆院選敗北による政権交代(2009年の麻生太郎内閣の自公連立、2012年の民主党中心の連立)、③一部与党の離脱による連立政権の終結(1994年6月の社会党の離脱による非自民連立の羽田政権の崩壊、2000年の小沢自由党の離脱による「自自公」連立の解消)である。

国政選挙によらずに、連立政権を構成する与党の内部対立によって政権崩壊を招いた③の2つのケースは、高市首相の下での「自維」連立の行方を展望する際に、1つの参考材料となりそうだ。

少数政権・羽田首相が迫られた選択

2025年7月刊行の最新刊の拙著『戦後80年の取材証言』では、以上の連立をめぐる攻防の軌跡について、第26項の「新自由クラブの興亡」、第38項の「非自民連立政権の仕掛け」、第41項の「羽田孜の衆議院解散回避」、第42項の「自社さ政権」、第50項の「『冷めたピザ』から『真空総理』へ」などの各項で詳述した。その中で、高市「自維」連立の現在、最も気になるのは、第41項の羽田政権崩壊の場面だ。

自民党が結党後、初の野党に転落していたとき、非自民連立政権は1994年4月、首相を細川氏から羽田氏にすげ替えた。そこで異変が起こった。

国会での羽田首相選出の翌日、与党内の会派結成問題を理由に、最大与党だった社会党が連立離脱を強行した。羽田政権は発足直後から過半数割れの少数政権に転落する。衆議院に内閣不信任決議案が提出されれば、可決・成立は確実の情勢だった。

実際に、羽田首相は内閣総辞職か衆議院解散か、2つに1つの選択を迫られた。最終的に総辞職の道を選ぶ。その結果、非自民連立政権は崩壊し、次の「自社さ」政権が誕生するという展開となった。

次ページ「退」を決断した羽田首相
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事