高市・連立政権を待ち受ける「3つのシナリオ」 「自維」政権に迫られる選択は総辞職か総選挙か
周知のとおり、自民党は10月4日の総裁選での高市総裁選出の後、10日の公明党の連立離脱、15日の維新との連立樹立の大筋合意を経て、やっと高市内閣の発足にこぎ着けた。そこまで、石破茂前首相の交代による新局面で、自民党は最初、「自公連立継続」を前提に、国民民主党を取り込んだ「自公国」連立の樹立を想定していたと思われる。
ところが、公明党の政権離脱で、情勢が一変した。公明党抜きの「自国」連立では、過半数に届かない少数与党体制となる。とたんに国民民主党が「自国」連立に背を向け始めた。
「連立参加」に舵を切った維新の大転換
「政権維持・与党継続」が大前提の自民党は、「孤立与党・単独少数政権」回避のため、なりふり構わず維新の抱き込みに走った。維新は24年10月の衆院選で低迷が顕在化した後、25年7月の参院選までは「『自維』連立なし」の方針を維持していたが、立ち直りのめどが立たない現状を見て、方針の大転換を決断し、「連立参加・与党入り」に舵を切った。
結党以来の最長老の浅田均・参議院会長は参院選の前、インタビューに答えて、「わが党は理念と運動で集まっている党。自民党との連立はない」と強調したが、維新は「ポスト石破」の新段階で、戦略の変更を決意した。むしろ独自の理念・路線・政策を実現するにはベターの策、と見て、「連立参加・与党入り」を選択したのではないか。
自民党との連立樹立の合意では、維新流の達成目標を連立の条件に掲げ、自民党にほぼ丸のみさせた。今後は合意事項の成否が連立政権の行方を左右する最大の焦点となる。
自民党は2025年11月15日に結党70年を迎えるが、振り返ると、ここまで4つの形態の連立政権があった。①中曽根康弘内閣による新自由クラブとの連立(1983年12月から1986年8月の新自ク解党まで)、②村山富市内閣と橋本龍太郎内閣による日本社会党・新党さきがけとの3党連立(1994年6月から1996年11月まで)、③小渕恵三内閣による自由党(小沢一郎党首)との「自自」連立(1998年11月の合意から1999年10月まで)と、公明党参加による「自自公」連立(1999年10月から2000年4月まで)、④「自公」連立(2000年4月以後。小沢自由党から分かれた保守党、保守新党との「自公保」連立を含む。保守党、保守新党は後に結成された日本保守党とは別の党)だ。
それに新しく「自維」連立が加わり、計5形態の連立政権を経験することになった。
一方、過去70年で、非自民連立政権が誕生したのは2回である。①細川護煕内閣と羽田孜内閣による少数勢力の多党連立(1993年8月から1994年6月まで)、②鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3代の首相による民主党中心の連立(2009年9月から2012年12月まで)だ。


















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