《ミドルのための実践的戦略思考》野中郁次郎の『知識創造企業』で読み解く工作機械メーカーの中国駐在員・石川の悩み

 

■解説:石川さんはどうすべきか?

では、SECIモデルを踏まえ、石川さんのケースを振り返ってみましょう

まず確実に言えるのが、石川さんの「共同化」に対する認識の不足です。つまり、現場にある暗黙知をくみ取るための意識に欠けている、ということです。もちろん、石川さん自身に、現場に対する意識がなかったわけではありません。サプライヤーを訪問したり、工場とやり取りを行っていたことは事実です。

しかし、「共同化」とは、そういうレベルのことを言うのではないのです。『知識創造企業』にある通り、「五感を働かせて共感し」、「思い込みを捨てて対象物と一体化するまでの感覚を持つ」ということが重要なのです。つまり、現場と単に会話をする、ということは、共同化にはなりえません。思い込みや前提を捨てて、現場の空気を体感する、もしくは、現地顧客の視点に立ち、顧客になりきって顧客の購買行動や価値観を理解しようとしなくてはならないのです。そのレベルまで「一体化」しようと努めることにより、ようやく現場にある暗黙知が理解できるのです。

特に、「現地発のイノベーション」を目指すPM社にとって、中国は「日本のやり方をそのまま持ち込む市場」ではなく、現地にある暗黙知を生かして、現地に即したアプローチを柔軟に取り込んでいくべき市場のはずです。しかし、今回の石川さんは、過去の経験にこだわり、そもそも「暗黙知から学ぶ」という意識が完全に欠如しています。現地にいながら、「共同化」が全く行えていない、というグローバル化に慣れていない企業によくありがちなパターンと言えるでしょう。

「共同化」に加えて、石川さんの認識に大きく欠けていることは、「表出化」になります。「表出化」とは、上記のとおり、暗黙知を何らかのコンセプトとして見える形にまとめていくことになり、そこで重要になるのは、「対話による本質追求」です。つまり、「どれだけ関係者と徹底的に対話をしたか」ということです。

当然ながら、その対話の相手は、出来る限り「本質的な問いを投げかけられる人材」であることが必要になります。そういう相手はえてして、同質的なキャリアを歩んできた人ではなく、全く異なるキャリアや立場の人間になります。つまり、「当たり前」と思っていることを疑うことから思考は深まるのです。自分自身が当然と思っていることに対して、「なぜこうなのか?」「これは具体的にどういうことなのか?」という本質的な問いを受け、その問いに対して分かりやすく説明をする過程で、自分自身が新たな発見を得て、思考がクリアにまとまっていくのです。

しかし、今回の石川さんは、過去のデータベースを参考にして、比較的同質な人と会話を繰り返したにすぎません。ひょっとすれば今回の中国法人トップに対するプレゼンテーションが、「表出化」の第一歩になるのかもしれませんが、万が一そこがスルーされるようなことになれば、「共同化」も「表出化」の過程もまともに行われなかったアイディアが世に出てしまうことになります。こんなことをやっているようであれば、真の「現地発のイノベーション」への道ははるか遠いと言わざるを得ないでしょう。

こうしてみると、石川さんのいる組織においては、SECIモデルのスパイラルはS(共同化)とE(表出化)のところで完全に目詰まりを起こしており、知識創造のスパイラルは停止している状態であるということが分かると思います。

ではなぜこうなってしまったのでしょうか。もしくは、このスパイラルを回すためには何が必要なのでしょうか。

『知識創造企業』において著者らが、このスパイラルを回すための最も重要な要素の一つとしてあげているのが「組織の意図」ということです。つまり、「どのような知識」を、「どこから」得るのか、という全体設計を意図しなくてはならない、ということです。

おそらく、このPM社ではその設計がなされていなかったのでしょう。もちろん、「現地発のイノベーション」というスローガンが出されてはいるのですが、それ以上の組織的な設計はなされていませんでした。こういう状態であると、組織は「慣性の法則」に引きずられます。つまり、何らかの極端な仕掛けがない限りにおいては、人間は無意識のうちに、今まで慣れ親しんでいた行動を取り続ける、ということです。石川が取った行動を振り返ると、結局は本社主導、データベース重視の行動モデルです。つまり、無意識のうちに本社のアドバイスを聞き、過去のデータを踏まえて理屈を考えてから動く、というものです。

想像するに、新規市場攻略は「日本の本社にいる優秀なマーケティング部隊や開発部隊が考えるべきこと」であり、「失敗しても説明がつくようにデータを重視すべき」、というマインドセットが少なからずあったのかもしれません。これはおそらく組織的にしみついている行動原理なのでしょう。それが強ければ強いほど、「慣性の法則」に打ち勝つだけの「組織の意図」を定義することが重要になるのです。

そう考えるならば、本来石川さんが働きかけるべき本質的なこととは、「現地発のイノベーション」とは具体的にどういうことを意図しているのか、それはいつまでに実現すべきことなのか、そしてそれを実現するということは、「どのような知識」を、「どこから」得るのか、ということを、マネジメントレベルと徹底的に議論することなのでしょう。

※なお、本題とはややそれますが、グローバル化において、PM社のように現地適応と統合をどう両立させるのか、ということは、多くの業界で直面する課題になります。この対応の仕方は業界によって異なりますが、一般論として言うならば、石川さんのように両方のバランスを取りながら進めていく、というのは結果的にどっちつかずになる可能性があります。今回のような場面であれば、まず統合は二の次として割り切って、徹底的に現地化を進めていくことが大事です。つまり、敢えて「現地適応と統合の不均衡を起こす」、ということです。そうすると、現場と本社において、「暗黙知の格差」が生じてきます。そのタイミングで、その格差や不均衡を解消し、統合度合いを高めていくための動きをしていくのです。現地適応と統合のバランスを最初から目的とするのではありません。その不均衡解消の連続によって、結果的に高い次元でのバランスにつながっていくのです。

 

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