京都のど真ん中に《生きた"団地歴史博物館"》 築70年超「京都の廃団地」に、なぜか人が殺到する理由
長く滞在する人もいれば、通り過ぎていく人もいる。そういうふうにコミュニケーションの形をぎっちぎちに固めず、ゆるやかなコミュニティを形成していく。交流の余白の中から何かが生まれる。
前出の髙田氏はそれを「出来上がり図を書かないこと」と言う。
それぞれの立場から団地を愛し、ゆるやかに共生
出来上がりを決め込まず、ゆるやかな時間と生活の余白の中から何かが生まれるのに任せる。そんな考え方の象徴のようなものを団地の傍らに見つけた。これからの再開発案に期待する椹木町団地の前に生えているヤマザクラの木だ。
堀川通りの街路樹はみんなイチョウなのだが、なぜか1本だけ、しかも一般的なソメイヨシノではなくヤマザクラ。何らかの思いを込めて植えられたものなのだろうかと思って、公社に聞いてみると管轄は市役所だという。
市役所に電話すると、土木みどり事務所を紹介してくれた。そこでようやくわかったのは、自然発生ではないかということだった。ごく稀に、鳥などが種を落としてそれが成長することがある。
椹木町団地前の桜もいつの間にか芽生え、たった1本、すくすくと育った。それをそのままにしてある懐の深さこそが京都、そして西陣という地域の懐の深さではないか。
行政も民間も住人も商人も学識者も、古さと新しさを並列させながら、それぞれの立場から団地を愛し、ゆるやかに共生している。堀川団地は昭和のレガシーをどう扱うか、その1つの理想形である。
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