「菅田将暉の"眉"がすごい」「こんな顔だっけ?」 フジドラマ『もしがく』での《激変》に見えた"圧倒的な強さ"
泰山を演じたのは遠藤憲一。菅田は遠藤の特徴をつかみながら、真似ではなく、「昭和の強さと面倒くささ」の両方をしっかり内包して泰山パートを演じていた。
彼の決め台詞「この武藤泰山に乗り越えられぬ壁はなーい!」は、菅田自身にもぴったり当てはまる。菅田将暉に乗り越えられぬ壁はない。彼でしか再生できない昭和の時代がある。
なにより興味深いのは、菅田はどの時代のどの役柄を演じても、土着性というか、家族や絆、生活環境、過去を想像させる。
『民王』もコメディーではあったが、親子関係の複雑さが描かれていたし、前述の映画『共喰い』や、『そこのみにて光輝く』『闇金ウシジマくん Part2』(ともに14年)、などは、血縁関係の呪縛、過去との因果関係みたいなものを感じさせる。
どれだけ振り切ろうとしても、同じ場所に引き戻されるような理不尽さが浮き彫りになり、やりきれないほどだ。だから彼がサイコパスを演じても、意味なき犯罪の“意味”を考えてしまう。観ているこちらが、妙なうしろめたさを覚えてしまう。
そんな菅田だからこそ、ドラマ『MIU404』(20年)での、一切説明のない正体不明、社会悪の象徴でありながら、サイコパスとはまた違う「物語の外にいる犯人」である久住という役が成り立ったのだろう。
「松坂桃李」の心を開いたトーク力
見た目も声も仕草も、すべて役によって変えてくる菅田将暉だが、バラエティーやラジオでしゃべる姿は、もうもう、フツーの大阪の気のいいあんちゃんである。
誰に対してもツッコむし、親しみを持って接するが、決してゾーンに踏み込みすぎることもない。「不適切発言」の心配が本当に少なく、もしウッカリ発言しても、すぐに自分でフォローして火を消すであろう、不思議な安心感がある。
17年から22年まで続いた「菅田将暉のオールナイトニッポン」は、そのバランス感覚とお笑いのセンスで高い人気を得ていた。


















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