「やりきっていないなら、やろう。まだ遅くない」ーー "人生のゴールデンタイム"が過ぎ去ったミドル・シニア世代にホリエモンが送るエール

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マクドナルドで働くシニアの方々と対照的なのが、若くして経済的自立を達成する「FIRE(Financial Independence, Retire Early=経済的自立と早期リタイア)」という生き方だろう。

お金の心配から解放された自由な暮らしに人生の理想を見るわけだ。でもそこで待っているのはかならずしも楽園とはかぎらない。

めでたくFIREを達成すると何が起こるのだろう。何も起こらない。目のまえにただ広大な時間が横たわることになる。それは一種の喪失である。人生の目標の喪失だ。「何もしない自由」に喜びはない。

社会との接点がなくなり、誰からも頼られることのない日々。生きがいの対極にある退屈な日々。その孤独は資産の額では決して埋められない。

生きがいはどんな財にもまさる。人生100年時代を豊かに生きるうえで必要なのはお金ではない。もちろんFIREでもない。生きがいというプライスレスな充実感である。

では、生きがいを生きがいとして支えてくれるものは何だろう。体力だ。何歳になっても動ける体だ。それが大前提である。どんなに楽しそうなイベントでも足腰に不安があると躊躇(ためら)う。友人や孫との旅行も

「途中で足を引っ張ってしまうかも」と遠慮してしまうかもしれない。

体力不足が日常を閉じていく。趣味もボランティア活動も働くこともままならない。そんな老後は悲劇だろう。それでいくら長生きしても意味はない。

マクドナルドのシニアスタッフのように、誰かのために立ち働く姿こそが豊かな老後生活の象徴だ。

人生の終わりまで自分の足で立ち、自分の頭で考え、自分の意志で動ける状態を保つ。社会とつながり、生きがいを得るには何よりも体力が不可欠だ。

体力さえあれば、何歳になっても人生を思うぞんぶん楽しめる。本当の自由と豊かさを手にするのである。

POINT:働き続けられるかぎり、人生の彩りは失われない

人生のゴールデンタイムは一瞬で終わる

いつか本気を出そう——。その言葉をどれだけの人が無邪気に使ってきただろうか。その「いつか」はいつなのだろう。

果物に旬があるように、アスリートに全盛期があるように、人生にも「思い切り挑戦できる時期」がある。

堀江貴文氏
堀江貴文氏(写真:徳間書店提供)

みなぎる体力。自分はなんにでもなれるという自信。そして未来は必ず良くなると信じられるポジティビティ(楽観的態度)。この3つが同時にそろっている貴重な時期のことだ。

それは多くの場合、10代後半から30代くらいまでの限られた期間だ。人生のほんのわずかなひと時にすぎない。本気を出すべき「いつか」はあっという間に過ぎ去る。

挑戦者たる「賞味期限」は短いのである。なぜ短いのか。その理由は3つある。

ひとつは、体力の減少だ。若いときはどんなに疲れていても一晩ぐっすり眠れば体力ゲージはフルに戻る。でも30代を過ぎたらそうはいかない。回復に時間がかかるようになるし、体力の絶対値も下がる。

40代ともなれば、前日の夜更かしや飲み会が翌日まで尾を引くのが当たり前になる。年齢とともに体力ゲージは右肩下がりをたどる。それは避けられない。

もうひとつは、経験がもたらす臆病さだ。蓄えられた知識やスキルは大きな武器になる一方で、「これは危ない」「前例が失敗している」といったブレーキにもなってしまう。

若いころは「とりあえずやってみるか」と飛び込めたようなことも、「やらない理由」のほうが優勢になりがちだ。分別が勢いを削いでしまうのである。

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