国策半導体の失敗、負け続けた20年の歴史、親会社・国依存から脱却を
実際、各国とも自国産業を陰になり日向になり支援している。サムスンが韓国政府と緊密なことは言うに及ばず、SKハイニックスは01年の経営破綻時に韓国政府系金融機関の支援で再建された。マイクロン・テクノロジーにはメモリ技術を米国に残したい米国政府の意向が働いていると見るのが業界では当たり前。
しかし、日本政府による半導体業界への支援策はことごとく裏目に出ている。それはなぜなのか。
半導体摩擦のほとぼりが冷めた00年以降、日本でも再び国と企業が一体となって開発を進める国家プロジェクトが乱立し始めた。
たとえば01年の「あすかプロジェクト」には国費200億円が、同年の「HALCAプロジェクト」には80億円が投じられた。いずれも半導体の製造プロセス開発が目的で、メーカー複数社が参画したが、はかばかしい成果は得られなかった。
政府関係者が解説する。「企業は本命の技術は自社で開発する。国家プロジェクトには、成功するか微妙な2~3番目の技術と、二軍レベルの技術者が送り込まれていた」。
やはり01年の「先端SoC基盤技術開発(ASPLA)」は国費315億円を投入し、バラバラだった各社の製造プロセスの共通化を目指した。この旗振り役を務めたのが冒頭の福田氏で、最先端の巨大な日の丸ファンドリー工場を建設し、各社の半導体を受託製造すれば、世界最大ファンドリーの台湾TSMCに勝てると参加企業に呼びかけた。
しかし、参画企業の富士通、日立製作所、松下電器産業、三菱電機、NEC、東芝の足並みは、そろわなかった。メーカー関係者は「稼働率が満杯で生産できない場合、どの会社が身を引くのか。逆に稼働率が下がった場合、どの会社が責任を取るのか。コストの割り振りを考えると無理だった」と証言する。