《ミドルのための実践的戦略思考》クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ-技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』で読み解く 法人向け英会話スクールの営業担当・安田の悩み
安田はその都度、「ちゃんとうちの良さを伝えているのか? カスタマイズのメリットをちゃんと訴求できていないんじゃないか」ということを営業ミーティングで伝えていた。そして一抹の不安を感じながらも、「あんな低レベルのサービスを使ったところで、金の無駄になるだけなのに。分かってないな」と感じていた。
「それよりも、エレクトロニクス社向けの高度なサービスを開発すれば、大きなイノベーションにつながるぞ」と、期待に胸を膨らませていたのである。
そんなある日、安田は新たな提案を持参してエレクトロニクス社を訪問した。予想以上に工数はかかったが、間違いなくエレクトロニクス社の期待を上回るサービスになる手ごたえがあった。安田はその反応を聞くのが待ち遠しかったため、打ち合わせに入るなり、新たなサービスの提案を始めた。
まさかこのタイミングで提案を持ってくると思っていなかったエレクトロニクス社は面食らったようだったが、安田のプレゼンテーションに引き込まれ、「面白いな」「さすが安田さん」という反応を示した。
ところが、である。価格の話をしたとたん、その流れは変わった。「このサービスの見積もりは、別紙のとおりです。ご覧ください」「・・・」先方は黙ったままだ。確かに既存サービスに対して4割プレミアムの金額は乗せすぎたかもしれない。しかし、エレクトロニクス社との商談はいつもこれくらいからスタートし、大抵は3割プレミアムくらいに落ち着くのだ。安田は沈黙に耐え切れず、「どうでしょう?」と聞いてみた。
「うーん、いや、良いサービスだと思いますよ。確かにね。でも、ここまでうちが払える余裕があるかと言うと・・・」そして、畳みかけるように担当者は話し始めた。
「安田さん、実は言いにくいことなんですが、ご存じの通り、うちの業績がこの円高によって急激に悪化していることから、教育予算が取れなくなってきたんです。役員からも、英会話程度のことにそこまで予算をかける必要はないだろう、という意見が出てきて、ちょっと雲行きが怪しいのです。役員は、英会話が必要な社員は全社員に広がっているのだから、そんなに金のかかるEP社ではなくて、半額くらいでできるベンダーはいくらでもあるだろう、ということまで言っているのです」
「いや、正直、役員はよくわかっていないと思うのですがねぇ・・・。でも確かにあるんですよ、安いところは。ですから、新しい提案も金額を考えると、正直今は無理ですし、既存のサービスも一度値段を検討いただこうかなと思っていたのです・・・」
あまりに想定外のリアクションに、安田は最後の方はほとんど聞こえていなかった。最大のクライアントであるエレクトロニクス社を失注するかもしれない? いや、これは単なる交渉の一環のはずだ。でも・・・。もし、これが事実だったら、うちの業績はどうなるのだ? 社内にこのことは報告すべきだろうか? もし失注したら、俺の立場はどうなるんだ? いろいろなことが安田の頭の中で回っていた。
■理論の概説:『イノベーションのジレンマ-技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』
『イノベーションのジレンマ-技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』は、ハーバード・ビジネス・スクールの教授であるクレイトン・クリステンセンによって書かれた書籍であり、出版されるやいなや、大ベストセラーとなり、アメリカのみならず、世界中で賞賛されました。この書籍の何がインパクトだったのでしょうか。
それは、「なぜ優良と言われていた企業が失敗するのか」という問いに対し、原因を経営者の無能さや傲慢さ、官僚主義、技術不足といったことに帰着させるのではなく、「偉大な企業はすべてを正しく行うがゆえに失敗する」という見解を示したことにあります。
具体的に解説しましょう。本書が主張している失敗のメカニズムを簡単にまとめると、以下の通りになります。
優良企業は、顧客の意見に耳を傾け、顧客が求める製品やサービスを増産し、そのサービスを改良するために新技術(持続的技術)に積極的に投資を行う。その勝負においては、優良企業は競争優位性を発揮し、成長を続ける。
一方で、時として「破壊的技術」というものが現れる。破壊的技術は、単純、小型、低価格、低性能といった特徴を有し、少数の新しい顧客にのみ評価される。
主流顧客は、性能の高い技術を評価するため、破壊的技術に対して、当初はまったく見向きもしない。したがって、その主流顧客を相手にする優良企業もその技術を導入しようとは考えない。当然のことながら、破壊的技術は、低性能、低価格という特徴を有するために利益率も低く、優良企業にとってその技術を取り組むインセンティブは短期的には見当たらない。