「なにがダメだったのか」「問題ない投稿だった」との声も…。ミツカン「そうめん投稿」が"女性蔑視"として批判→謝罪はどうマズいのか

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むしろ謝ることにより、今後の企業活動や「広報SNS界隈」に大きな制約が加わる可能性が高く、むしろリスクだらけだとまで推測している。では「謝らなくてよかった理由」を説明しつつ、謝ることによるデメリットをひもときたい。

それにはまず、そもそもこの投稿は「そうめん論争」を冷やかしているのか、ということから考える必要がある。広報担当者はおそらく、その文脈を意識していただろう。ただ、投稿では直接の言及はない。

つまり「におわせ便乗」であることは、ほぼ確実なのだが、直接明言をしていない以上は「論争に一石を投じた」とする判断材料に乏しい。

状況証拠からグレーでしかないものを、安易に「クロだ」と決めつけることの危うさは、改めて説明するまでもないだろう。

謝罪自体が「女性軽視だと認めた」ようなもの

もちろんミツカン側にも落ち度はある。「冷やし中華なんて〜」という言い回しは、謙遜のつもりだったのかもしれないが、結果的に料理をバカにしていると思わせた。本来ミツカンが訴求したいのは、「具材なしでも冷やし中華が成立するほど、存在感のあるつゆ」だったはずだ。

しかし、どこか「具材を用意する人を見下しているような印象」を与える表現になってしまった。調味料メーカーが、消費者へのリスペクトに欠けているとなれば、それは批判の的になるだろう。

ただ、その敬意が向く対象は「あらゆる料理の作り手」だ。バッシングには「男尊女卑的な表現だ」といったものもあったが、その考え自体が「料理を作るのは女性だ」といった偏見をはらんでいることを忘れてはいけない。

その点、ミツカンの投稿は、特定の性別に言及したものではない。また謝罪文においても、「日々頑張っている人たち」に向けた投稿だったと説明されている。

次ページミツカンの件が今後、テストケースとして扱われる
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