ロシア人はプーチン大統領のココが好き 日本に向けたメッセージを読み取れ!

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私が初めてロシアに行ったのはまだソ連の時代で、1972年のことだった。学生時代にバックパッカーとして行ったのだが、陰気なシェレメチェボ空港に降り立って無愛想なイミグレーションの担当者の対応に、苛立ちを覚えたのを覚えている。

その次にモスクワを訪れたのは1989年の9月である。天安門事件が起こり中国の若者たちの民主化運動がついえていく中で、ロシアの民主化運動のほうが先に進展する機運が高まってきた矢先であった。1985年にゴルバチョフがソ連共産党書記長に就任しペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進め、私自身は当時勤務していた蝶理で旧ソ連のレアメタルを開発し始めたころだった。

ロシアの豊富な天然資源の話はさて置き、蝶理モスクワ店のゴルビーに対する風評が面白かった。ゴルバチョフ氏は1990年、ソ連時代の最初で最後となる大統領に就任しノーベル平和賞を受賞したが、ロシア人にはまったく人気がなく、アメリカや日本での人気ぶりと好対照だった。

国民に愛されたアル中のエリツィン

私が「ゴルビーの知的なところが日本では人気だ」と言うと、モスクワ店の女子社員からは「きれい事ばっかり言って、何も出来ないじゃないの」と痛烈な批判を受けていたのをよく覚えている。

1991年、初代ロシア共和国大統領に就任したエリツィン大統領は、本当の「アルコール中毒」だと言われたが、まだゴルバチョフ氏より人気はあった。「アル中」でありながらソ連崩壊後という激動の5年間の任期を全うしたのは、ある意味驚きである。余談だが、1993年にロシア最高会議ビル(ベールイドーム、別名ホワイトハウス)が襲撃されたモスクワ騒乱事件のとき、筆者は現場で目撃した経験を持つ。

そのエリツィン大統領は突如、1999年12月31日正午にテレビ演説を行い電撃辞任を表明。そして後継者に、当時首相だったプーチンを指名したのである。

次ページ綿々と続く「強い君主」への憧れ
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