《77歳の日本人留学生》還暦後「中国に9回留学」!愛称は“おばあちゃん”、21歳の友達もできた…会社員だった彼女が中国留学を決めた理由

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中国での留学生活に不便を感じることはあったか――そう尋ねると、村田さんは率直にこう語ってくれた。

「慣れない場面には何度も出くわした。お釣りをレジに放るように返されたり、スーパーで売り場を聞いてもスタッフが顎で方向を示してすぐスマホをいじってしまったり、プールの監視員も、リンゴをかじりながらおしゃべりしていて、あまり仕事をしているようには見えなかった。サービスの質はもう少し上がってほしい」

ニセ秋田小町
市場で秋田小町が売られているのを見つけたが…真贋はわからない(村田さん提供)

さらに彼女はこうも話す。「車優先の社会で、歩行者としては危険を感じたことがある。ゴミの分別もまだ整っていない地域がある」。異文化の中で、戸惑いながらも彼女は少しずつその土地に馴染んできた。

「中国では携帯決済が主流で、高速列車や飛行機の予約に毎回四苦八苦する。クラスメイトに助けてもらいながら、友人も増えた」

長期滞在の村田さんは、中国の現状にも詳しい。「大学を出ても仕事が見つからず、デリバリーの仕事をする若者も多い。もったいないと思う」と言う。

発展が続く中国で、村田さんが特に驚いたのは農村の変化だった。

道は舗装され、畑にはソーラーパネルが並ぶ。雑貨屋はコンビニに変わり、民宿を営む農家も増えている。

「バスでは、皆が礼儀正しく席を譲ってくれる」と村田さんは微笑む。異国で遭遇した数々の困難も、彼女にとってはすべて挑戦だ。その積み重ねが、今の彼女を形づくっている。

農村市場の床屋
農村市場の床屋(村田さん提供)

中国の友達が日本に遊びに来てくれた

村田さんが中国留学で最も心に残っているのは、海南省滞在中に参加した市民ハイキングだった。週末に、海や山、古い街並みを巡る小旅行であり、参加費は一人1000円ほど。中国人たちは、ただ一人の日本のおばあさんを大歓迎してくれたそうだ。

何度も顔を合わせるうちに、気の合う十人ほどの仲間ができた。三年後、彼らは日本を訪れ、村田さんの地元・神奈川県秦野市に来た。丹沢の大山を登り、村田さんの夫が営む居酒屋で宴を開いて楽しい夜を過ごした。「私たちが日中友好の懸け橋になれた気がした」と、村田さんは誇らしげに話した。

「若者たちは日本に興味を持っていて、よく片言の日本語で話しかけてくる。アニメで日本語を覚えて、驚くほど流暢な人もいるのよ」。村田さんは、中国の若者との交流を楽しそうに振り返った。

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