《77歳の日本人留学生》還暦後「中国に9回留学」!愛称は“おばあちゃん”、21歳の友達もできた…会社員だった彼女が中国留学を決めた理由
「一人なの?」気晴らしに散歩に出たら農家の女性に優しく話しかけられた。相手の身振り手振りからなんとなく言葉の意味がわかった。
二人で歩いているうちに、彼女の家に着いた。「農家院」と書かれた民宿の看板が見えた。料金は先ほどの旅館の半額。村田さんは旅館に戻ってキャンセルを申し出たが、「ノー!」と怒鳴られ、返金はされなかった。怖くなって、お金はあきらめた。
「農家院」に戻ると、畑から帰った女性の夫が笑顔で迎えてくれた。夕食は水餃子と畑の野菜のおかず。食後、主人が中国語で『北国の春』を歌い出す。この歌は80年代から中国でも親しまれている。村田さんも日本語で声を張り上げて合唱した。

孫ほどの年齢の学生と机を並べる
村田さんは帰国後、すぐにラジオ講座で中国語の学習を始めた。再びマラソンに挑戦し、あの夫婦と再会する――そんな夢を胸に、学びにも熱が入った。
長期滞在を目指し、還暦をすぎた彼女が選んだのは留学という道。かつて騙された経験があっても、「きっと親切な人がいる」と信じていた。
2012年、最初の留学先は大連交通大学。そこには意外にも日本人留学生が多く、大連の街並みもどこか日本に似ていて親しみやすかった。
だが彼女は、もっと多様な文化に触れたいと考え、自ら行きたい大学に手紙やメールで直談判する「押しかけ留学」を試みた。中国の大学には留学生の年齢制限(65歳)があり、途中には語学学校へ進路を変えたが、その情熱は衰えなかった。
これまで半年ずつ、大連、海南、桂林、昆明、成都など中国の都市で、世界各国の留学生たちと机を並べて学んできた。孫のような若者たちは、日本から来た村田さんを中国語で「奶奶(ナイナイ)=おばあちゃん」と呼ぶ。
クラブ活動も盛んで、太極拳、チマキ作り、書道など多彩だ。村田さんは、ヨーロッパの留学生が「一」を右から書いたのに驚いたという。
綱引き大会では、「奶奶、危ないから応援してね」と若者が優しく気遣ってくれた。村田さんの心の中では、彼らと一緒に綱を引きたかった……。

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