昭和の名車「2代目ソアラ」を生んだ白洲次郎の深すぎる”自動車愛”と、豊田章一郎との《泣ける交流》

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白洲次郎と「2代目ソアラ」についてのエピソードをご紹介します(写真:DSP/PIXTA)
連合国占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、大物実業家としても知られる白洲次郎ですが、彼にはもう1つ「無類の自動車好き」という顔があったことをご存じでしょうか。
本稿では、そんな白洲次郎とトヨタ・ソアラの大ヒットにまつわるエピソードを、別冊宝島編集部の『知れば知るほど泣ける白洲次郎』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

メルセデス・ベンツがつないだ娘の愛

白洲次郎は第一線を退いた65歳を過ぎても、様々な会社の会長や顧問をしていた。大沢商会の会長や日本テレビの社外役員、シェル石油、大洋漁業などの顧問を引き受けていた。

次郎は、会長や顧問をしている会社に行くときは、決まってメルセデス・ベンツ450を運転して仕事場に向かった。10代で目覚め、20代でオイルボーイと呼ばれた自動車愛は晩年まで変わらなかった。

メルセデス・ベンツがきっかけで結婚したのが娘の牧山桂子である。夫はメルセデス・ベンツの総代理店ヤナセに勤めていた牧山圭男。

次郎は圭男について「あいつは俺にベンツを売り付けて、代金のほかに娘までもって行きやがった」と冗談めかして言っていたという。

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