昭和の名車「2代目ソアラ」を生んだ白洲次郎の深すぎる”自動車愛”と、豊田章一郎との《泣ける交流》

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圭男は次郎のこんな言葉を聞いている。

「自動車産業を国際的に育てようと考えるなら、右側通行にし、高速道路は3車線とし、出入り口やジャンクションなどは低速側に設置すべしと強くアドバイスしたが、自動車のことなど知らない役人と技術者がバカなことを言って聞く耳をもたない。今に東京は渋滞でえらい事になるぞ」(『白洲次郎の流儀』新潮社)

まさに次郎の予言は当たっている。次郎はモータリゼーションの勃興期であるイギリスでオイルボーイと呼ばれ、モータリゼーションの全盛期であるアメリカを見ている。日本の役人も次郎の苦言に聞く耳を持つべきであった。

次郎は80歳でハンドルを握るのをやめた。それでも自動車愛は止まらなかった。次郎はトヨタの豊田章一郎からソアラの新型車を開発していると聞き、早速、現行のソアラを購入した。

初代ソアラは、当時としては革新的なカー技術と高性能なエンジンやサスペンションなどを取り入れた超贅沢な車だった。かなりの評判を呼び、多くの客が、自らディーラーまで赴いて、値引きもせず購入していった。第2回日本カー・オブ・ザ・イヤーにも輝いた。

初代ソアラの問題点を指摘した手紙

非の打ちどころのないソアラと見えたが、次郎は違った。そのソアラに対して、気がついた技術的な問題点を章一郎に伝えたのだ。

章一郎も少しでもいいものを作りたい技術屋である。耳が痛い話だが、次郎の直言に対して、開発担当者の岡田稔弘を呼び出した。

「君の作ったクルマにいろいろと文句を言っているおじいさんがいるから、会って話を聞いてみなさい」

岡田は白洲次郎の名前を聞いてもピンとこなかったが、次郎は無類のクルマ好きで、苦言をいう、うるさ型だという。彼は緊張しながら次郎が会長を務めている大沢商会を訪ねた。

そのとき、次郎は岡田を六本木の小さなフランス料理店に誘った。そして、雑談を交わして終わってしまった。

食事の場で、岡田は問題点があるなら教えてほしいと次郎に迫ったが、次郎は手紙で送るからと言って、さらりと別れた。次郎は岡田という人間を見定めていたのだろう。

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