現在の教育現場における1人1台端末は、非合理の極致だ。
「所有」より「情報へのアクセス」
いい大学を出ていい会社に入り、終身雇用が約束された中で結婚相手を見つけ、子どもを作り、マイホームのひとつも手に入れる――といった画一的な「幸せ」は、もはや「正解」ではない。
「国民国家」という幻想が消失し、自由な「民」となった現代の僕たちにとって、「幸せ」の形は多様化した。民の一人として自分だけの幸せを探し、生き方を探し、働き方を探さなければならない。
僕は、学歴や正社員などの肩書、土地、家、車などのモノ、そしてカネといった「所有」にこだわる価値観から解放され、「情報へのアクセス」を重視すべきだと考える。
インターネット登場以前における豊かな人生の条件は、なんといっても、カネやモノの所有、ストック量だった。みんなが欲しがるそれらのものをどれだけ多く手元に置いているか、これが社会における絶対的なステータスであり、人の幸福度を左右する重大事項だった。
しかしインターネットの登場によって、この価値観はすでに崩壊した。インターネットは、カネやモノのようには目に見えないが、あらゆる人やモノをつなぐ最強のインフラとなった。
インターネットのもたらした社会変化が「情報革命」と呼ばれる理由は、インターネットが「他者と通信できる」というだけでなく、情報やモノ、あらゆるものの「所有」の価値を、著しく下げたからだ。
このことを心から理解し、最大限に利用している人たちが、AI時代に成功できる。だから、彼らにとって一番大切なのは所有ではなく、「情報へのアクセス」なのだ。「情報へのアクセス」としたのは、「情報の所有」が大切なわけではないからである。
今どき、情報の書かれた紙やデータの入ったデバイスなどを自分の手元に常備しておかなくても、あるいは自分の頭に叩き込んでおかなくても、必要なときにインターネットを通じてアクセスさえすれば、情報は手に入る。情報は、所有すべきものから、アクセスすればいいものへと変化を遂げた。
インターネット登場後の世界において、人生の豊かさを左右するのは、情報やモノをどれだけストックしているかではない。「必要なものにはすぐアクセスできる」と知っているかどうかなのだ。
今は、スマホもうまく使えない土地持ちの御曹司より、スマホを使い倒せる貧乏学生のほうがイノベーションを起こせる可能性が高い。こうしたテクノロジーの恩恵を存分に使いこなし、自分の可能性に一切フタをしないで生きられる人たちが、成功できるというわけだ。
所有する必要がない情報は、世界中の人たちと分かち合って当然。これがグローバリゼーション時代の原則だ。これは脅威でも何でもなく、偏在していたリソースをあまねく世界に広げる、実にフェアな変化だ。
『フラット化する世界 経済の大転換と人間の未来』(トーマス・フリードマン)という本が出たのは、2005年。インドがITの力で著しい経済成長を遂げたことを例に、ITの力は国家間の格差をフラットにすると指摘したこの本は、世界的に大ヒットした。
それから20年、ブロードバンド革命やモバイルテクノロジーの発達を経て、フラット化現象は年々加速度を増している。その後に待っているのは、完全な自由競争社会である。
*堀江貴文「子どもには金を出し、口や手は出すな」。これからの社会で重視されるのは学歴より「学び歴」「体験歴」。親は工夫する、そして稼ぐ
*今求められるのは「バカ親」から「賢明な支援者」への転換。《堀江貴文が語る》親の責務は「どんな時代がきても稼げる大人」に育てること
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