田沼意次の息子「意知」はなぜ殺されたのか? 鞘で攻撃を受け止めるも肩から袈裟懸けに…

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桜田門(写真:OKAP / PIXTA)
(写真:OKAP / PIXTA)
今年の大河ドラマ『べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~』は横浜流星さんが主演を務めます。今回は田沼意次の息子・意知はなぜ斬られたのかを解説します。
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江戸を揺るがした事件

田沼意次の長男は、田沼意知です。大河ドラマ「べらぼう」では、意知を俳優・宮沢氷魚さんが演じています。

意知の生まれは、寛延2年(1749)であり、その母は意次の後妻(黒沢定記の娘)でした。

意知は15歳の時、10代将軍・徳川家治に初御目見え。意次の後継者として認知された意知は、翌年には従5位下、大和守に任じられます。天明元年(1781)には奏者番という江戸城の儀式に関わる職に就任するのです。政治的に重要な役職ではありませんが、家督を継いでいない者が就任するのは異例でした。

天明3年(1783)には、家督を継いでいない身でありながら、若年寄(老中を補佐しつつ、幕政に参与)となります。これまた異例のことでした。こうした異例の出世も、父・意次が老中となっていたからだと推測されます。意知の出世コースを見るに、意知もいずれは老中に、という意識が働いていたようにも感じます。

意知は将軍・家治の外出にお供することもありました。順調な出世と将軍との親密さ。まさに順風満帆というところですが、そんな意知を天明4年(1784)3月24日午後1時頃、突如、悲劇が襲います。意次をはじめとする老中は江戸城を退出。若年寄の意知や太田資愛・酒井忠休らもこれに続き、退出しようとしていました。

将軍の警衛に当たる新番組の詰所を彼らが通った時のことです。5人の番士のなかから、突然、男が飛び出してきて、刀を鞘から抜き、意知を斬りつけたのでした。

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