「好きなことで稼ぐ」は、たった今からできる! ウォルト・ディズニーも実践した「生活のための仕事」を「好き」に変えていく工夫とは?

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たとえば、職場で扱う商材やサービスに、自分が心躍るような工夫を加えることを試し、そこに顧客や同僚が喜んでくれる価値を加えていく。そんな実践を積み重ねるうちに、もともとは「食べるため」と割り切っていた仕事に、少しずつ“好き”のエッセンスが染み込んでいきます。結果として、自分にとっても周りにとっても得られるものが大きくなり、長い目で見れば「好きなことで稼ぐ」に近い状態を、いまいる現場で作り上げてしまうのです。

ウォルト・ディズニーが実現した「制約の中の自由」

こうした姿勢を象徴する有名人の例としては、ウォルト・ディズニーが挙げられます。

彼は若い頃からアニメーション制作が大好きでしたが、1920年代初頭は資金も乏しく、大規模なアニメーション映画の制作など夢のまた夢でした。まずはコマーシャル用の短編アニメや、地元企業から依頼を受けるキャラクター広告の制作など、小さな受注仕事で日銭を稼ぐしかありませんでした。

しかし、その限られた仕事の中にあっても、ディズニーは創造性を最大限に注ぎ込むことを忘れませんでした。たった数秒しか映らないコマーシャルのキャラクターでも、表情の豊かさや動きの滑らかさにこだわり、新しいアニメーション技法を試してみるのです。彼は「視聴者が少しでも楽しめる仕掛けを入れたい」とこだわり、1コマ1コマの動きを丁寧に検討し続けました。

その結果、微妙な表情の変化やタイミングの巧みさが評判を呼び、わずかずつですがディズニーのアニメーション制作に注目が集まり始めました。

やがて、一連の短編作品『アリス・コメディーズ』や『オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』などで少しずつ成功を積み重ね、1928年には世界的ブランドの礎となり、後のディズニー帝国を築く原動力となった伝説的キャラクター「ミッキーマウス」を生み出します。

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