"たった80年前"に日本が起こした「戦争の過去」 子どもたちにきちんと伝えられていますか?

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戦後の日本では、マッカーサーを最高司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の指令に従って日本政府が政治を行う、間接統治の手法がとられました。

GHQは、日本の軍国主義を取り除き、民主主義を推し進めるため、軍隊を解散させ、戦争の責任者を極東国際軍事裁判で処罰しました。

そして、1946年11月3日に公布され、翌年5月3日から施行された日本国憲法では、原則の1つに平和主義が掲げられました。日本は、2度と戦争をしないことをここに誓ったのです。

一方、戦後の人々の暮らしは、とても苦しいものでした。空襲で多くの住宅や工場が破壊され、焼け跡の街には、失業者に加えて、軍隊の召集を解かれた兵士や海外からの引きあげ者、戦災で親を亡くした孤児があふれていました。

また、戦争への動員で生産力が低下し、食料難が深刻化しました。都市の人々は、わずかな配給や高価な闇市の食料などで飢えをしのいだほか、食料を求めて農村へ買い出しに行きました。こうした中で、国民は懸命に働き、経済の復興に努めました。

日本は悪いことをしたの?

開戦後、1942年6月のミッドウェー海戦で大敗するまで、日本の支配地域は拡大を続けていました。日本軍の最大進出範囲は、太平洋に浮かぶ島々からビルマ(現在のミャンマー)に及ぶ広大な領域でした。

日本は、アジアから欧米の勢力を追い出し、アジアの民族だけで繁栄していこうとする「大東亜共栄圏」の建設を提唱し、この行動を正当化しました。当初、アジアの人々は、日本軍によって欧米の支配から解放されることを期待しました。

しかし、日本軍は、現地の住民に厳しい労働をさせ、食料や物資を独占しました。女性に性的暴行を働いたともいわれています。このように、戦火のないところでも、大勢の人が日本軍の侵略行為の犠牲になったのです。

この大戦での死者は、日本で約310万人(朝鮮や台湾の人々を含む)、アジアで2000万人以上に達したといわれています。

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