"たった80年前"に日本が起こした「戦争の過去」 子どもたちにきちんと伝えられていますか?
1945年3月末にはアメリカ軍が沖縄に上陸し、6月末まで激しい戦闘が繰り広げられ、当時の沖縄県の人口の約4分の1にあたる12万人以上の県民が犠牲になりました。
7月には、アメリカ、イギリス、中国が共同で宣言を発表し、日本に無条件降伏を求めましたが(ポツダム宣言)、日本はそれを受け入れませんでした。莫大な国費を投入し、何よりも国民の命を犠牲にして戦争を進めてきた政府や軍にとって、敗戦はこれまでの国策を否定することを意味したからです。
日本は日ソ中立条約(互いに攻め込まないことなどを決めた条約)を結んでいたソ連による仲介を期待していました。
ところが、ソ連はアメリカ・イギリスと秘密の協定を結び、日本との戦争に参加することを決めており、日本からの打診に対して返事を引き延ばしていました。そのあいだにも戦況は悪化し、8月、アメリカが広島・長崎に原子爆弾(原爆)を投下しました。
被害は甚大で、投下から5年以内に、広島で20万人以上、長崎で14万人以上の命が奪われました。
そして、ソ連軍が条約を一方的に破棄して日本に宣戦布告し、日本の支配下にあった満州や朝鮮、南樺太や千島列島に侵攻すると、日本はようやくポツダム宣言を受け入れ、降伏することを決定しました。8月15日、昭和天皇がラジオ放送で国民に終戦を知らせました(玉音放送)。
こうして、第2次世界大戦が終わったのです。
敗戦後の日本はどうなったの?
敗戦後の日本は、アメリカ軍を中心とする連合国軍に占領され、日清戦争以後に獲得した植民地をすべて失いました。
領土は本州・北海道・九州・四国とその周辺の島々に限られ、沖縄や奄美群島、小笠原諸島はアメリカ軍の直接統治下に置かれました(のちに日本政府に返還されました)。
また、南樺太や千島列島などは大戦末期にソ連軍によって不法に占拠され、北方四島は現在もロシアによって不法に占拠され続けています。
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