"たった80年前"に日本が起こした「戦争の過去」 子どもたちにきちんと伝えられていますか?
孤立を深めた日本が手を結んだのが、ヒトラーによる独裁政権下で東方への侵略を進めていたドイツでした。そうした中で、1937年、日本と中国の全面戦争(日中戦争)が始まりました。
一方ヨーロッパでは、1939年にドイツがポーランドに攻め込んだことをきっかけに、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が始まりました。1940年に入ると、ドイツは北ヨーロッパや西ヨーロッパの国々を攻撃し、フランスを降伏させました。イギリスも、ドイツ軍の激しい空襲を受けました。
ドイツの優勢を見たイタリアはドイツ側に立って参戦し、ドイツとイタリアは、日本と日独伊三国同盟を結んで結束を強化しました。これにより、日本はイギリスやフランスなどの国々とも対立することになったのです。
日中戦争が長期化していた日本は、必要な資源を求めて東南アジアにも進出しました。これに警戒心を強めたのがアメリカです。
日本とアメリカは交渉するも決裂し、1941年、日本軍はアメリカ軍の基地があるハワイの真珠湾を奇襲攻撃するとともに、イギリス領のマレー半島に上陸しました。これが太平洋戦争の始まりです。
日本は最初のころは太平洋の島々を次々と制圧して、戦いを有利に進めましたが、圧倒的な軍事力をもつアメリカに徐々に追いつめられていきます。
それまで兵役を免れていた学生を戦場に送り出し、女性を軍需工場などで働かせるなど、すべての国力を投入して戦いましたが、長引く戦争で多くの人々が犠牲になり、国民の暮らしも苦しくなっていきました。
どのように終戦に至ったのかを、ここから見ていきましょう。
相次ぐ空襲と沖縄での戦闘、そして原爆投下へ
日本同様、当初は戦争を有利に進めていたイタリアとドイツも次第に劣勢となり、1943年9月にイタリアが、1945年5月にドイツが降伏しました。残る日本に対し、アメリカは激しい攻撃を展開しました。
1944年、アメリカ軍は日本の勢力圏であったサイパン島を占領すると、サイパン島を基地として、日本本土への空襲を開始しました。特に1945年3月の東京大空襲の被害は大きく、約10万人が亡くなったといわれています。
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