インドネシアで進む権力集中と民主主義の後退。平和的に選挙と政権交代が行われているようだが…

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ただし、民主主義が後退しているのは、新しい大統領が独裁政権期に軍人だったからではない。実は、この現象は、インドネシア初の庶民出身大統領として国民の人気が高かったジョコ・ウィドド前政権(14〜24年)の下で始まったものである。

ジョコ前大統領は、インドネシアが新興経済大国として注目されるようになった時期に政権に就いた。45年にインドネシアを先進国にするという目標を立て、国家主導で経済開発を進めようとした。

そのために安定した政権基盤が必要だと考えたジョコ氏は、野党の党内権力闘争に介入して親大統領派に党を掌握させ、そのうえで野党を政権に取り込んだ。第2期政権(19〜24年)では、大統領選を戦ったプラボウォ氏を閣内に迎えて政権外の反対勢力を懐柔。その結果、国会では与党連合が7割前後の議席を押さえることとなり、野党は力を失った。

権力抑制の仕組みも破壊

ジョコ氏は民主化改革で構築された権力抑制の仕組みも破壊していった。準司法機関として高い独立性と強い権限を与えられた「汚職撲滅委員会(KPK)」を弱体化させる法改正を行ったほか、強い違憲審査権を持つ「憲法裁判所」の長官の再婚相手として妹を嫁がせて懐柔を図るなど、権力分立の制度が徐々に侵食されていった。

また、「イスラム保守派」が台頭したこともジョコ政権がさらに強権的な性格を帯びる契機となった。イスラム保守派は、イスラム的価値観が政治・経済の場で実現されることを目指すグループである。その主張は、多民族多宗教の共存を掲げる世俗国家の統一を脅かしかねない。そこで政府は、国家統一の擁護という名目でイスラム保守派団体への締め付けを強化し、主要な団体を解散に追い込んだ。

ところが、強権的にイスラム主義運動を抑え込む政府の動きは、政府批判を行う市民や学生の運動へと対象が拡大していった。政府を批判するデモや活動に対して、厳しい取り締まりが行われた。ネット上でも、政府批判の言動が偽情報の拡散や名誉毀損といった理由で摘発されるなど、言論活動に対する監視が強まった。

22年末には刑法典が全面的に改正された。そこには、思想の自由に抵触するような条項や、政府に批判的な言動の取り締まりを可能にするような条項が盛り込まれた。

24年には、ジョコ政権が選挙プロセスに介入したとの疑惑が浮上した。プラボウォ氏はジョコ氏の長男であるギブラン・ラカブミン・ラカ氏を副大統領候補に選んだが、ギブラン氏は立候補の年齢要件を満たしていなかった。

ところが、ジョコ氏の妹婿である憲法裁長官が主導して選挙法の解釈を変更し、ギブラン氏の立候補を可能にした。また、ジョコ氏は、地方首長や警察を通じてプラボウォ氏の当選を後押しする選挙工作を行ったとも報道された。

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