「奨学金完済の通知を見たときは、号泣しました。奨学金の返済に充てた400万円が手元に残ったら、住宅ローンの返済はラクだったのに」と振り返る。
しかし、長男が中学に入学すると、三男も小学生になり育児が急にラクになった。再就職を試みると、3年契約の嘱託だったが36歳で自治体職員になれた。定期的な収入を得られるようになったおかげで、気持ちに少し余裕ができたのだ。
Aさんは契約満了まで自治体職員として勤めたのち、次の就職先を探した。子どもたちの学費がかかり、住宅ローンも残っていて、夫の給料は上がらない。
今でこそ、学費援助などさまざまな子育て支援策が打ち出されているが、Aさんが子育てをしていた頃は十分な支援がなく、働かなくては生活が成り立たなかった。
だが、その後は8度も転職をくり返すことになる。リストラされたこともあれば、セクハラされそうになり逃げだした会社や、パワハラを受けた会社もあるなど苦労を重ねたのだ。
ついには2週間の出張や徹夜といった過酷な業務の結果、仕事先で突然倒れて40度以上の高熱を出し、救急車で運ばれた。結果、Aさんは一生付き合う慢性病を患ってしまったのだ。
「母親だから」とひとくくりにすることなく
諦めたキャリア、何より病気になってしまったことは悔やまれる。あのとき、母親にならなければ、こんな後悔の多い人生は歩まなかったかもしれない。
だが振り返れば、子どもが成長して手がかからなくなり、また自身も仕事で収入を得られるようになるにつれ、息子たちをかわいいと思えるようになっていった。
息子たちについて聞くと、3人それぞれの幼少期のエピソードを、いとおしそうに語るAさん。また、子育て期に多忙過ぎた夫も、コロナ禍でフルリモートになり、食事当番を引き受けるようになっているという。子どもをかわいいと思うには、母親自身にゆとりが必要なことがわかる。
就職氷河期世代のAさんが歩んだ半生は、かなり苛酷だった。幸い、若い頃からパワフルだった彼女は、子どもたちを無事に育て上げることができた。端から見れば「母は強し」と言いたくなる母性愛の発露にも見えるが、本人は「母親になって後悔してる」状態だった。それは、すぐ横に広がる奈落を感じていたからだろう。
母親を神聖視すれば、誰が落ちてもおかしくない現代社会の穴の深刻さを見失いかねない。母親をしている女性も、性格や生き方、置かれる環境はさまざまで、多様な人たちが、多様な事情から子どもを産んだだけだ。「母親だから」とひとくくりにすることなく、誰もが生きやすい社会を私たちは求めるべきだろう。

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