文学部がなくなる日 倉部史記著
大学に関する良書は少なく、伝えられるのは「増えすぎた大学」「5割以上になった進学率」「学力の低下」など、否定的で紋切り型の情報が多い。しかしなぜ大学が増えたのか、なぜ学力が低下したのか、なぜ大学が破綻するのかなどについて、包括的にわかりやすく書かれた本がなかった。本書がはじめての本ではないかと思う。
タイトルは「文学部がなくなる日」だが、内容は、サブタイトルの「誰も書かなかった大学の「いま」」だ。読んで興味深く感じたことを列挙してみる。
第一章「大学がつぶれる」では、大学の状況が俯瞰されている。18歳人口が、90年代初頭の200万人から120万人に減少。大学数は92年の523校から2010年の778校へ増大。定員割れの現状と経営破綻した大学。夜間部と短大が消失。
部外者にはこういう大学のあり方が不可思議だった。進学率が上がったとはいえ、18歳人口が減少しているのに、大学が新設され続けるのはマーケット原則からするとおかしい。
しかし本書を読むと、功成り名を遂げた成功者の中には、私学を設立したい人が多いことがわかる。そして大学設置基準の要件を満たしていれば、文科省は認可するらしい。適切な大学数という発想はなく、「放っておけば増えるのが大学」と著者は言う。
また地方自治体が土地・施設を用意して民間が運営する「公私協力方式」の大学もあるそうだ。大学に多額の投資を税金で行い、責任問題が顕在化した自治体もあるという。
大学関係者が自校を良くするために不可欠な事として考えている「受験者数」への叙述も興味深い。受験者数が増えれば競争倍率が上がり、模試などで示される入学難易度(いわゆる偏差値)が上がる。偏差値が上がれば優秀な生徒が受験するようになり、学生の質が高まる。質が高まれば、大学の評判が良くなり、受験生はたくさん集まる。
こういうサイクルへの信仰があるから、無名大学から、有名私立大学、国立大学に至る、あらゆる大学が受験生獲得に奔走することになる。ところが偏差値測定不能の大学もある。なぜなら偏差値とは合格者と不合格者の模試の成績の分布を見て予備校が判定する数字だからだ。受験生が定員に満たず、全員が合格する大学では偏差値を算出できない。