農業の誇りをかけ新天地へ--原発事故で移住した夫妻が春耕へ

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 一時避難として、関西出身の瑞恵さんの実家に身を寄せ、関西で農業を行うことも考えたが、「土地の広さなど諸条件を考えると難しかった」(考司さん)。移転先を探せるか、あるいは農業をあきらめ、ほかの職業を選択するか。

そんな苦悩を続けていた昨年の7月上旬、福島県の知人が長野県松本市に移住したと聞き、気分転換も兼ねて遊びにいったことが、前向きな決断を行うきっかけとなった。アルプスの山々に囲まれた松本市の風景、そして放射能汚染がないという事実。ここで農業を再開できるかもしれない--。阪本さん夫婦の心が躍った。

また、松本市は農業従事者の被災者の中でも、農業を続けたい人には農地を提供するという施策をいち早く打ち出していた。これは、チェルノブイリ原発事故後にベラルーシで医療支援を行っていた菅谷(すげのや)昭市長が発案したもので、同市は積極的に農業従事者の移住を募集していた。

阪本さん夫婦は同市農業委員会に相談してみたところ、松本市内に自宅と50アールの農地を借りられることになった。「決断してからは本当にトントン拍子で話が進んだ」と考司さんは笑顔を見せる。農地の広さは石岡市の3分の1になったものの、自宅・農地の賃貸料も格安。「とても気が楽になった」と瑞恵さんは言う。

現在、阪本さん夫婦は本格的な農作業が始まる春を前に、着々と準備を続けている。ビニールハウスも建て、育苗を始めた。ただ、冬の雪の深さもあり、石岡市で行っていたようなことはまだ無理と言う。現在、考司さんは近くの結婚式場でアルバイト中。「当面は兼業で、無理しない範囲でやっていきたい」と言う。

先日、この地で「援農」を行った。ハウスの建設などに大人子ども合わせて20人ほどが参加。いずれも、原発事故の影響で松本市に移住してきた人たちだ。今後も、孤独になりがちな被災者を中心に呼び掛け、「援農」を行うことで交流活動を続けたいという。

築き上げてきたものを一瞬にして失うことになった原発事故。だが、「後悔しない選択ができたのでは」と考司さんは言う。自分たちが作る作物に誇りを持てるものを出したい。土地は違っても、阪本さん夫婦の決断に農業を究めたいという信念が垣間見える。 


■松本市では初の「援農」を行った

  


■石岡市で農業をやっていたとき
福田 恵介 東洋経済 解説部コラムニスト

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ふくだ けいすけ / Keisuke Fukuda

1968年長崎県生まれ。神戸市外国語大学外国語学部ロシア学科卒。毎日新聞記者を経て、1992年東洋経済新報社入社。1999年から1年間、韓国・延世大学留学。著書に『図解 金正日と北朝鮮問題』(東洋経済新報社)、訳書に『朝鮮半島のいちばん長い日』『サムスン電子』『サムスンCEO』『李健煕(イ・ゴンヒ)―サムスンの孤独な帝王』『アン・チョルス 経営の原則』(すべて、東洋経済新報社)など。

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