尼崎と宝塚結ぶ「幻の鉄道」なぜ実現しなかったか 兵庫県道「尼宝線」実は線路の予定地、今も残る跡
しかし阪急電鉄の申請から2カ月後の7月19日、国は尼宝電鉄の鉄道計画のみ許可する。発起人に兵庫政界の大物がいたことを考慮したのだろうか。阪急電鉄の申請については、この時点では可否判断を示さなかった。
それからわずか12日後の7月31日、阪神電鉄の取締役会が尼宝電鉄への出資を議決し、阪神電鉄と尼宝電鉄の関係性が表に現れるようになった。

さらに8月に入ると、尼宝電鉄の発起人はルートの変更を申請する。これは起点を出屋敷駅から阪神電鉄の尼崎駅に変更し、伊丹の市街地を通って宝塚に向かうルートとしたもの。阪急伊丹線から最大でも400mほどしか離れておらず、伊丹の市街地では阪急伊丹線の終点・伊丹駅のすぐそばを通り抜ける計画だった。
続いて10月4日には、阪神電鉄が出屋敷―高洲―東浜―今津間の鉄道計画を申請。これも阪急電鉄が申請した循環線と競合する計画で、尼宝電鉄のルート変更申請も含め阪急電鉄への「敵意」をむき出しにした。

ルート変更の「矛盾」指摘したが…
循環線の申請が通らないまま、阪神電鉄と尼宝電鉄が矢継ぎ早に手を打ってくる状況に阪急電鉄も相当焦ったようで、12月21日には国に対し次のような内容の上申書(国立公文書館所蔵)を提出している。
端的にいえば「尼宝電鉄は武庫川改修に対応した計画だったはずなのに、阪急伊丹線と競合する計画に変更するのはおかしい」という主張。尼宝電鉄のルート変更を認可しないよう求めるとともに、阪急電鉄が申請している循環線の延伸計画を許可するよう求めた。

しかし尼宝電鉄は上申書など意に返さないかのごとく、翌1924年2月6日に会社を設立。事業化に向けての準備を着々と進めていく。資本金は300万円で、その半分を阪神電鉄が出資。前田房之助が社長に就任し、阪神電鉄代表取締役の三崎省三も相談役に就いた。
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