週刊東洋経済 最新号を読む(5/23号)
東洋経済オンラインとは
ビジネス #鉄道最前線

尼崎と宝塚結ぶ「幻の鉄道」なぜ実現しなかったか 兵庫県道「尼宝線」実は線路の予定地、今も残る跡

12分で読める
2/6 PAGES
3/6 PAGES

しかし阪急電鉄の申請から2カ月後の7月19日、国は尼宝電鉄の鉄道計画のみ許可する。発起人に兵庫政界の大物がいたことを考慮したのだろうか。阪急電鉄の申請については、この時点では可否判断を示さなかった。

それからわずか12日後の7月31日、阪神電鉄の取締役会が尼宝電鉄への出資を議決し、阪神電鉄と尼宝電鉄の関係性が表に現れるようになった。

かつての阪急伊丹線の電車。写真の90形は1960年代半ばまで活躍した車両(写真:たけPON/PIXTA)

さらに8月に入ると、尼宝電鉄の発起人はルートの変更を申請する。これは起点を出屋敷駅から阪神電鉄の尼崎駅に変更し、伊丹の市街地を通って宝塚に向かうルートとしたもの。阪急伊丹線から最大でも400mほどしか離れておらず、伊丹の市街地では阪急伊丹線の終点・伊丹駅のすぐそばを通り抜ける計画だった。

続いて10月4日には、阪神電鉄が出屋敷―高洲―東浜―今津間の鉄道計画を申請。これも阪急電鉄が申請した循環線と競合する計画で、尼宝電鉄のルート変更申請も含め阪急電鉄への「敵意」をむき出しにした。

1923年10月時点:尼宝電鉄が阪急伊丹線に張りつくようなルート変更を申請するとともに、阪神電鉄も出屋敷~今津の海岸寄りを通る新線の計画を申請(青点線)。阪急の循環線計画に対抗した(国土地理院地図を筆者加工)

ルート変更の「矛盾」指摘したが…

循環線の申請が通らないまま、阪神電鉄と尼宝電鉄が矢継ぎ早に手を打ってくる状況に阪急電鉄も相当焦ったようで、12月21日には国に対し次のような内容の上申書(国立公文書館所蔵)を提出している。

同社(尼宝電鉄)発起人ノ公表スル所ニ依レハ同鉄道敷設ノ目的ハ武庫川改修ト相俟ツテ其沿岸ノ土地ヲ啓発シ併セテ郊外住宅地ノ経営ヲ主要条件トシテ得タルモノニシテ今回ノ如キ大変更ヲ為スニ於テハ全然免許当初ノ目的ヲ没却スルモノト思考セラレ候

端的にいえば「尼宝電鉄は武庫川改修に対応した計画だったはずなのに、阪急伊丹線と競合する計画に変更するのはおかしい」という主張。尼宝電鉄のルート変更を認可しないよう求めるとともに、阪急電鉄が申請している循環線の延伸計画を許可するよう求めた。

阪急電鉄が国に提出した上申書(国立公文書館所蔵)

しかし尼宝電鉄は上申書など意に返さないかのごとく、翌1924年2月6日に会社を設立。事業化に向けての準備を着々と進めていく。資本金は300万円で、その半分を阪神電鉄が出資。前田房之助が社長に就任し、阪神電鉄代表取締役の三崎省三も相談役に就いた。

【写真を見る】尼崎と宝塚結ぶ「幻の鉄道」なぜ実現しなかったか 兵庫県道「尼宝線」実は線路の予定地、今も残る跡(26枚)

次ページが続きます

4/6 PAGES
5/6 PAGES
6/6 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ビジネス

人気記事 HOT

※過去1週間以内の記事が対象