「東京に住むなんて考えもしなかった」から一転、54歳で山形から東京へ≪単身移住≫を決意した理由とは?考えを変えた”2つの出来事”を聞いた

✎ 1 ✎ 2 ✎ 3 ✎ 4
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

「夫に相談したところ、『どこに住んでもいいよ』と。転勤族だったので、その辺りは柔軟でしたね。私自身も、生まれ育った山形に不思議なくらい愛着はなくて。この頃はすでに携帯電話でどこにいても山形の友人とも連絡が取れたので、その点も大きかったかもしれません」

こうして、2006年6月に移住を決断。当時社会人と大学院生だった娘たちも室星さんの移住を歓迎した。そして早速勤務先に退職の意向を伝え、家も売りに出した。

室星流美子さん
取材に応じる流美子さん(撮影:今祥雄)

家は1週間で売却

地方から東京への移住で大きな壁になるのが、住居スペースが小さくなること。だが、流美子さんは、これをむしろ断捨離のチャンスと前向きに捉えた。

移住当初に住んだ八王子の住まいは80平方メートル、現在の西東京市の住まいは53平方メートルほど。

「1985年に購入した酒田の一戸建てに比べると、東京の住まいはだいぶ狭くなりました。嫁入り道具や衣類など、ほとんど処分してきました」

酒田の家は築20年ほどで新築時の3分の1ほどの値段になったものの、駅から近く立地もよかったため1週間で売却が決まり、その費用を移住資金に充てることができた。

そして移住を決意した翌月、長女が当時住んでいたマンションの別の部屋を購入し、引っ越した。

後編では、流美子さんの東京での暮らしや仕事、移住から19年経った今思うこと、そして今後について詳しく聞いた。

岩崎 貴行 ジャーナリスト・文筆家

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

いわさき たかゆき / Takayuki Iwasaki

1979年埼玉県生まれ。2003年早稲田大学政治経済学部卒業、同年日本経済新聞社に入社。政治部、金沢支局、社会部を経て、2013~2020年文化部で音楽(ジャズ・クラシックほか)や文芸などを担当。さいたま支局キャップ、地域報道センター次長も務めた。2024年9月に同社を退職し、同年10月から出版社勤務。専門は音楽を中心とする芸術文化で、音楽雑誌やネットメディアなどへの寄稿多数。東日本大震災、福島第1原発事故などの取材に関わった経験から、環境問題、地域振興などへの関心も高い。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事