日本流の「起承転結」のある文章が、英語圏では"論点がずれている"と評価されてしまう言語的背景

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主語・目的語・述語の位置の柔軟性

主語・目的語・述語の順序が驚くほど自由なことも日本語の面白い特徴の1つです。まるで言葉のパズルを遊ぶように、どの順番で言葉を並べても、きちんと意味が伝わります。

「私はリンゴを食べる」
「リンゴを私は食べる」
「食べる、私はリンゴを」

どれも、「私はリンゴを食べる」という同じ内容を伝えているのですが、微妙にニュアンスが変わってきます。

「最後まで話を聞かないと通訳ができない」

「私はリンゴを食べる」なら普通の会話の流れですが、「リンゴを私は食べる」と言うと、「私が食べるのは(バナナやイチゴではなく)リンゴだ」と、リンゴを強調しているかのように感じさせます。

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そして、「食べる、私はリンゴを」は、まるで映画のナレーションのようで、聞き手に強い印象を与えます。

英語だとこうはいきません。"I eat an apple."を"An apple eat I."と言い換えると、後者はもはや暗号のように聞こえてしまい、何を言いたいのか伝わりません。

一方、日本語では「は」「を」「が」などの助詞が意味を肉づけしているので、どんな順番で言葉を並べても、きちんと内容が伝わります。この助詞の存在のおかげで、日本語はまるでブロックのように自由自在に文章を構成できるのです。

大学でエジプトからの留学生を指導していたとき、アラビア語についての質問をしてみました。

「アラビア語では語順はどうなっているの?」と尋ねると、「動詞が最初にくる」との答えが返ってきました。「読んだ、本、彼」というように動詞を最初に置くことで、行動や出来事を重視する文化的な特徴が表れているのだと知り、非常に興味深く感じました。

また、その留学生の話では、日本語からアラビア語への通訳はとても難しいとのことです。

日本語の「私は昨日友だちと映画を見ました」という簡単な文章でも、アラビア語に訳そうとすると「見ました」が最後に来る日本語の特徴のせいで、最後まで話を聞かないと通訳ができないのだそうです。

岡田 昭人 東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授

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おかだ あきと / Akito Okada

東京外国語大学大学院総合国際学研究院教授。留学生教育学会副会長。Oxford-Cambridge Society会員。ニューヨーク大学大学院で異文化コミュニケーション学の修士号を、オックスフォード大学大学院にて教育学博士号を取得。東京外国語大学で25年にわたり日本人と留学生に教育学や異文化コミュニケーション学を指導。講演会やセミナー、執筆などを通じて異文化理解活動に務めている。著書に『世界を変える思考力を養う オックスフォードの教え方』(朝日新聞出版、『人生100年時代の教養が身に付く オックスフォードの学び方』として文庫化)、『オックスフォード流 自分の頭で考え、伝える技術』(PHP研究所)、『教育学入門 30のテーマで学ぶ』(ミネルヴァ書房)などがある。

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