しかし、トランプが2025年4月になって始めた相互関税引き上げに関しては、さすがの日本人も国際問題に関心を持たざるをえなくなったといえる。毎日下がり続ける株価の中で、個々人は日本経済の赤信号に恐れおののいていた。国際問題が、否が応でも自らに危険が迫れば国際問題に関心を持たざるをえない。

とはいえ、株価が落ち着くとまた国内問題に戻っているようである。小事にかまけることを「4畳半の世界への関心」と私は呼んでいるが、日本の大学生の多くも、国際社会に関心を持たないようだ。大学入試でも、外国語学部や国際学部は軒並み不人気で、海外への派遣留学生の数も減少しているという。
福澤は明治の日本の多くの洋学者について、「しかるにこの洋学者中、外国の新聞紙を購読してあまねく世界日新の形勢を知了する者、果たして幾人かある。今日はこれ区々たる日本国内のことにのみ狂奔すべきの日あらず」(前掲書、285ページ)とさえ述べている。
常識的な「判定」をしないトランプ
21世紀現在もこの福澤の言葉が意味を持っているとすれば、情けない話である。国民必修の英語の教育は会話にしろ、読解にしろ、入学試験のための「踏み絵」にすぎず、それ以上役に立っていないということなのだ。
トランプが何をするかわからないというのが、大方の懸念だろう。先が読めないほど恐ろしいことはない。トランプが行っている政策は、これまでの世界の常識をことごとく破っているからだ。
ルールが存在しない社会は、カオスである。ストライクがボールになり、ボールがストライクとなれば、野球は成立しない。審判に誤審があるとしてもたいてい正しい判定内に収まっているから、安心して野球がやれるのである。
トランプのアメリカは、常識的判定をしない野球の審判ともいえる。世界の審判者たる力をもっていたアメリカが、もし悪しき審判になれば世界は狂ってしまう。いやあえて狂わそうとしているのであれば、ますます世界は混迷を深めることになる。
では、いったい何をしようとしているのか。
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