《セガがエヌビディアの経営危機を救った800万ドルの深層》 もし、あの時保有し続けていれば歴史は変わったか?

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「エヌビディアが1995年にNV1という試作チップを作りました。3DFXがリリースしていたブードウー(Voodoo)と同じようなものです。3次元コンピュータ・グラフィックスの機能もあるんだけど、特色があるクワドロテクスチャーでカーブができる仕様だと日立から聞いたので、それも検討しましょうということになりました。

それでアメリカのエヌビディア本社に何度か行って、セガが開発要請を出してくれるなら新しくNV2というものを作りますという話をして、試作を2回くらいやったんですが、ちゃんとできなかったんです。

私からも、日立からもいろいろとアドバイスをしたんですが、うまくできない。結局できあがらなかったので、入交さんが時間切れという判断をして、セガとしては公式に、開発を継続しないということをエヌビディアのジェンスンに伝えたら、『なんとかしてくれ。このままじゃ会社がなくなっちゃう』と言ってきたんです。確かに今まで一緒にやってきた経緯もあるので、セガはエヌビディアの株式を持つということで、株式投資をしたんです。

利益相反の可能性と幻の億万長者

セガ 体感ゲームの時代 1985-1990
『セガ 体感ゲームの時代 1985-1990』(東京ニュース通信社)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

そのころだったと思うんですが、私はエヌビディアから誘われたんです。株式をもつというオファーだったと思います。それで上司の佐藤秀樹さんに相談したところ、利益相反になるからやめておきなさいと言われてやめました。

当時、PCのチップは3DFXもNVシリーズもそうなんですが、アドオンチップで3Dを再現していました。エヌビディアは、それでは誰も買ってくれないから、ワンチップでやらないと駄目だという話をしていました」

しかし、セガとエヌビディアの蜜月も長くは続かなかった。むしろエヌビディアはセガをフックに大きく羽ばたき、逆にセガは『セガサターン』、『ドリームキャスト』の失速と頓挫により、その関係性は変わってしまった。

「佐藤秀樹さんが代表取締役社長の時代に、セガが保有していたエヌビディア株式を売却しました。出資した当時保有していた、5億円分の株式が約20億円になってセガに戻ってきましたが、今でも持っていたら、おそらく1000倍くらいになったかもしれないですね」

黒川 文雄 ジェミニエンタテインメント代表取締役/ゲーム考古学者

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くろかわ ふみお / Fumio Kurokawa

東京都生まれ。武蔵大学を卒業後、アポロン音楽工業に入社。営業、制作を経て退社後、創業したばかりのギャガ・コミュニケーションズに5年間勤務。その後、セガ・エンタープライゼスへ転職。アーケードゲーム宣伝活動と、セガサターンの導入時期に宣伝関連の業務に携わる。その後、1996年、デジキューブに入社。執行役員、取締役を務める。株式会社デックスエンタテインメント代表取締役社長、ブシロード副社長を務め、2012年に退職。現在は映像制作、ゲーム開発などをサポートする株式会社ジェミニエンタテインメント代表取締役、並行してメディアコンテンツ研究家としてゲーム系エンタテインメントの取材執筆活動を精力的に行う。また、エンタメ系企業複数社のコンサルタント事業を行う。DMMオンラインサロン「黒川塾」も開催中。著作に書籍「プロゲーマー、業界のしくみからお金の話まで eスポーツのすべてがわかる本」(日本実業出版社)や、「ビデオゲームの語り部たち」(DU BOOKS)などがある。

オンラインサロン黒川塾も開設。
株式会社ジェミニエンタテインメント
Twitter:ku6kawa230

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