《セガがエヌビディアの経営危機を救った800万ドルの深層》 もし、あの時保有し続けていれば歴史は変わったか?
1999年1月22日にアメリカ、ナスダック市場に新規株式公開をしたエヌビディアの売り出し価格は1株12ドル。公開当日の終値は20ドル近くまで急騰した(エヌビディア株式は99年末にかけて40ドル近くまで上昇した)。
セガ保有のエヌビディア株式の正確な売却株価は不明だが、当時、1ドルが110円台だったことから推測すると、エヌビディア株式が1株24ドル弱のタイミングで売却したと推測される。その売却額は約20億円、正確には19億6697万円となった。
つまり、初期株式投資分5ミリオン(4億2500万円)は15億4100万円の売却益でプラスとなり、19億6697万円のキャッシュを生んだ。投資対効果では約5倍のキャッシュが手残りとなった。
キャッシュが必要でエヌビディア株を売却
セガの1999年3月期当期損失は約430億円、2000年3月期も約430億円を損失計上しており、手元のキャッシュが必要だったことから、エヌビディア株の継続保有は困難な状況だった。この売却時の最終決済者は代表取締役社長、入交昭一郎だった。
佐藤秀樹がエヌビディアへの出資や協業を探る際に、開発の最前線でエヌビディアの成長に関わった西川正次がいる。

「1994年くらいだったと思うんですけど、日立からエヌビディアという会社がスタートアップであるので会ってみませんかという打診があったんです。すぐにアメリカに行ってエヌビディアと会ってみたら彼らの技術が面白そうだったんです。
当時は3DFXとビデオロジックとエヌビディアがあって、3DFXは日本のどこかの商社が持ち込んできていて、ビデオロジックはNEC、エヌビディアは日立と提携していました。あと、松下がゲーム機『3DO』をやっていましたが、『3DO』は残念ながら消滅しました。
アタリという選択肢もあった中で、社長の中山隼雄さんに呼ばれまして、『エヌビディアでやりなさい』と言われました。なぜかというと、まだセガサターンをリリースしたばかりで、これからもしばらく日立と付き合っていかなきゃいけないから、その接点を継続したということです。セガサターンに、日立のSH-2を使っていたからだと思います。
次はSH-3というのが新しくできるから、それとグラフィックチップを組み合わせて、すぐに出したい。セガ独自で作るには時間も技術も足りないから、ある程度の技術があるところと組んでやりましょうというのが当時の話でした」
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