政治家vs.官僚バトルの行く末。「年金改革」の背後にあるパワーポリティクスを解き明かす

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国民年金特別対策本部の看板と坂口力厚労相
2004年の年金改正を担当した坂口力・厚労相(当時)(写真:時事)
税金や社会保険料の負担が年々大きくなり、その分、私たちの手取りは減っている。税や社会保険の仕組みを理解して対策を講じよう。『週刊東洋経済』4月5日号の第1特集は「手取りを増やす」だ。
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年金法改正案の国会への提出が大幅に遅れ、今国会での成立が危ぶまれている。政治家が7月の参議院選挙を前に国民の支持を得ておきたいためだが、年金には「政争の具」に使われてきた長い歴史がある。

年金は制度発足以来、「少なくとも5年ごと」の法改正が義務づけられている。現役世代なら保険料、高齢者なら受給額という「財布」に直結する話だから、改正のたびにパワーポリティクスが必要だった。

日本の公的年金制度は1942年成立の労働者年金保険法(44年に厚生年金保険法に改称)を始まりとする。ただし農家、商店主ら自営業者は対象でなかったことから「国民皆年金」の機運が高まり、59年4月、国民年金法が成立した。陣頭指揮を執ったのが「年金の神様」と称えられる初代厚生省年金局長の小山進次郎(38年入省)だ。

俺たちが年金制度をつくるんだ

小山は、有識者による審議会の存在を無視し、元大蔵次官の野田卯一・自民党国民年金実施対策特別委員長(野田聖子・現衆議院議員の祖父)と蜜月の関係を築いて制度をつくるという荒業をやってのけた。小山の下に集まった面々は「小山学校」と呼ばれ、うち5人が次官に上り詰めた。その一人、古川貞二郎・元官房副長官(60年入省。2022年に死去)は生前、私の取材で語った。

「あの頃はみんな意気に燃えていた。俺たちが年金制度をつくるんだ、と。制度の大枠を決めるのは政治で、たくさんある白地部分を行政官が固めていく。やりがいがありました」

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