政治家vs.官僚バトルの行く末。「年金改革」の背後にあるパワーポリティクスを解き明かす

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70年、人口の7%以上が65歳以上という「高齢化社会」に突入すると、政治家は高齢者を“票田”として意識し始める。72年に首相に就いた田中角栄は、年金額をはね上げるよう指示。6代目の年金局長・横田陽吉(46年入省)は、年金財政計算の責任者・数理課長を「出入り禁止」にしてまで73年改正を推し進めた。後に無駄遣いと批判されて廃止されるグリーンピア(大規模年金保養基地)が計画されたのも、このときだ。

大盤振る舞いの尻拭い

だがその後の年金官僚は、急速な高齢化(男性の平均寿命は55年の63歳から80年の73歳へ10歳延びた。女性は11歳延びた)に頭を抱え、政治による大盤振る舞いの尻拭いを余儀なくされた。

75年版の『厚生白書』で初めて、年金の「適切な対応策の検討」に触れられた。その執筆に携わったのが81年に年金局長に就く山口新一郎(53年入省)だ。

がんに冒された山口は在任中に死去したものの、自営業者、会社員、公務員など8つあった年金制度を一体化させる「基礎年金制度」と、初の受給額減額を盛り込んだ85年改正の道筋をつけた。

この改正で、山口は大問題をあえて避けている。支給開始年齢の引き上げである。厚生年金の支給開始を60歳から65歳に引き上げる案が、前の80年改正で盛り込まれるはずだった。

しかし、「40日抗争」(自民党の大平正芳と福田赳夫による政治闘争)で混乱の極みにあった政治家には相手にされなかった。一筋縄ではいかないと感じ取った山口は「基礎年金制度」を優先させたのだ。65歳への引き上げが整備されたのは00年改正になってからで、構想から20年経っていた。

「ミレニアム改正」と呼ばれるこの改正は、本来99年改正だった。自由党を率いる小沢一郎が、年金を連立政権内での駆け引き材料に使い、審議を遅らせたのだ。当時の年金局長・矢野朝水(69年入省)が私の取材に振り返る。

「小沢さんは政局の人で政策には関心がない。やりきれなくて、自由党本部前でハンガーストライキをしようと真剣に考えました。宮下創平厚相に止められましたが」

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