政治家vs.官僚バトルの行く末。「年金改革」の背後にあるパワーポリティクスを解き明かす

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加えて、戦後の混乱期を除いて初めて、保険料引き上げが凍結された。改正のたびに引き上げられてきたが、宮下厚相が金融危機を理由に鶴の一声で凍結を決めた。

「マクロ経済スライド」を導入

年金官僚も政治家も、改正ごとのパワーポリティクスにうんざりしていた。そこで04年改正では、保険料を上げ続けて十数年後に固定すると同時に受給額を目減りさせていく「マクロ経済スライド」を導入する。おおむね100年にわたって収支のバランスを確保することから、厚労相・坂口力を擁する公明党は選挙対策として「100年安心年金」と銘打ち、国民の“安心”を取り付けた。だが5年に1度の年金法改正は行われるから、誤った発信だった。

当時の数理課長・坂本純一(75年入省)が「誤解を招くのではないでしょうか」と指摘した。しかし、坂口に「もう言っちゃったからなぁ」と一蹴されたという。

また坂本らは、保険料率を20%まで引き上げなければ十分な年金は支払われないとはじき出していた。しかし、当時の自民党幹事長・安倍晋三が立ちはだかり、18.3%へと後退した。

「安倍さんはマクロ経済スライドについて、よく理解しておられなかった。経団連の言い分を重視していたようでした」(坂本)

政治主導と年金不信の波にのみ込まれ、年金官僚の“声”はかき消される一方だった。ついには野党の民主党が、独自の年金改革案を掲げて政権交代を果たす。もっともそれは、当時の厚労省政策統括官・香取照幸(80年入省)が「幼稚園児のお絵描き」と一刀両断するお粗末な代物で、香取が中心となって葬り去った。

香取はその実績を引っ提げ、12年、年金局長に昇進する。次官が確実視されるエースだったが、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)改革をめぐり、厚労相・塩崎恭久と対立。塩崎は香取と同期の二川一男を次官に2年起用したことで、香取の次官の芽を摘んだ。

こうして政治に翻弄され続けた年金官僚は今、「マクロ経済スライドにより、大改正の必要はなくなった」とのスタンスである。

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