オーラル・ヒストリーで辿る村松岐夫の研究人生 ある行政学者が語る「戦後政治学の展開」50年

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『レヴァイアサン』創刊人の一人である村松さんは、海外への「日本政治学の発信」や、若手が論文を公表する場が不足していると考えており、その状況を改善しようと、「実証的な研究で良い仕事をしておられた」大嶽秀夫さんに創刊の相談をしたようです。

私はこのあたりの人間関係についてまったく知らなかったので、村松さんが大嶽さんと「近しい知り合いではなかった」ということに少し驚きました。

また、政治学者や歴史学者からの刊行についての批判や冷淡な反応が語られているのも印象的です。

なぜ日本政治に関心が向いたのか

留学も村松さんにとっては大きな機会だったことがわかります。

村松さんは1966年から1968年にかけて、カリフォルニア大学バークレー校に留学されています。そこでロバート・スカラピーノ教授による日本政治の講義に出ていた時のエピソードが紹介されています。

スカラピーノ教授が興味を持ったトピックに対して、「ここにプロフェッサー村松がいるから聞いてみよう」と何度も意見を求められた、と。

英語力、また知識不足の問題から、それに対して「ほとんど答えられなかった」と書かれているのですが、次のような発見もあったと書かれています。

度々質問を受けている間に、日本研究について、「一方にこれだけ質問があり、他方で答えている論文がなさそうだ」ということがわかってきて、これはニッチだと思いました。
また日本人は、日本の政治を自分で説明すべきだとも思いました。結局、このあたりが動機になって、政治学の分野にも関心が向きました。

こうしたやり取りから、この分野への研究ニーズがあると読み取るところがユニークだな、と感じました。

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