オーラル・ヒストリーで辿る村松岐夫の研究人生 ある行政学者が語る「戦後政治学の展開」50年
留学の話に戻りますが、村松さんは1970年代にも、バークレーとハーバードに留学(在外研究)をしていて、2回の留学でたくさんの知己を得ています。
T. J. ペンペルやロバート・パットナムなど、その後著名になった海外の研究者だけでなく、当時留学していた日本人の政治学者や経済学者、また理系の研究者とも幅広く交流されていて、その人脈の広さに驚かされます。
他者が自分の論文を勝手に投稿
また、2回目の留学を終えて京都大学に戻っていた村松さんのところに、日本政治の専門家でUCLAの教授をしていたハンス・ベアワルドさんがやってきた時のエピソードも印象的です。
ベアワルドさんは、その時研究室にあった村松さんの英語論文を見て、「持ち帰っていいですか」と言われた。そうして、次のような展開があったと書かれています。
河野 そうすれば載せますよ、ということでしょうか?
村松 たぶんそうです。私としてはびっくりしましたけどね。
河野 ベアワルドさんが投稿してしまったのですね。
村松 後でベアワルドさんに問い合わせたら、「私が送っておいた、投稿した」と言っていました。勝手なことをするなということもありますが、結果として不満ではなかった。自分の英語論文を本気で「雑誌」に「投稿」するということは、私の頭にはなかったと思います。
雑誌の掲載前に、査読がありコメントがあるという「掲載手続き」も知らなかった。『レヴァイアサン』の発刊のときの準備に有益でした。そして何月号だったか忘れたけれども、1975年の『Asian Survey』に掲載されたというわけです。
このようなエピソードを一例として、村松さんは、さまざまな人との出会いや助けに恵まれて、多くの研究成果を残された。
それは、村松さんには、この人と一緒に何かをしてみたい、この人のサポートをしたい、と周囲に思わせるチャーミングさがあるからなのではないかと思います。
私は村松さんとは二度しかお会いしたことがありませんが、僭越ながら、研究への純粋な意欲をいつまでも失わない、「ピュア」な方だという印象を持ちました。
汲めど尽きない研究への意欲を持ち続けるというのは、本当に難しいことだと思います。
多くの、とりわけ若い研究者にとって、本書で語られる研究者・村松岐夫の生き様が大きな刺激になることは間違いないでしょう。
(談)
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