限界「ホワイトカラー」にしがみつく人への処方箋 『ホワイトカラー消滅』冨山和彦氏に聞く・前編
――日本の社会や教育はホワイトカラー予備軍を大量に作ることに最適化してきました。それが今限界を迎えていると。
デスクワーク職種で役に立つ人というのは、「正解に効率的にたどりつける人」。明治時代から始まった教育システムは、まさにそういう人を育てるもので、この制度の頂点には東京大学があった。
昔の日本では、ホワイトカラーの生産性や給料が現場の仕事より高かったから、皆がホワイトカラーを目指して頑張る体系が出来上がったのだろう。頑張って勉強してそこそこの大学に入ってホワイトカラーとして就職するのが正解だと。しかし今は、丸の内や大手町でも「もうホワイトカラーはいらない」とされる時代だ。
グローバル大企業やグローバルベンチャーの世界では、最も高度なホワイトカラー同士のバトルが行われている。それは、自分で問いを立てる頭脳、決まった正解のない問いに対し答えを提案する頭脳、つまり「正解にたどりつく」というレベルを超える頭脳を持つ者たちのバトルだ。
そのバトルに物理的な居場所は関係ないから、日本にいながらメジャーリーグレベルの戦いに参加できる。もちろん、そこで戦うのは大変で、ほとんどの人には無関係の世界だ。
それを踏まえると、大学も変わったほうがいい。もちろん、ノーベル賞を狙うグローバル(G型)大学があってもいいが、ごく少数で足りる。10校ぐらいあれば十分だろう。大多数の大学は、もっと現場に近い技能の教育にシフトしていったほうがいいのではないか。私はこのタイプの大学を「ローカル(L型)大学」と呼んでいる。
この提案をした10年前、大学業界からは「ふざけるんじゃない」と怒られた。だが、今では平均的な大学は技能教育のほうに進んでいる。少子化が進み、実践的な学びを提供できない大学には学生が集まらなくなった。世の中の流れは、私の予想したとおりになってきている。
「偏差値序列」という発想の古さ
――L型というのは、ローカル産業に適した人材を育成する大学でもありますか。
ローカル産業、あるいは現場だ。製造業を目指す層には高専が人気だが、日本の高専は、世界に名だたるL型高等教育機関と言える。
大学業界の人は、「G型L型という分け方は偏差値序列を固定化する」と批判する。でも、そもそもその「偏差値序列」という発想自体が、「ホワイトカラーを目指してみんな頑張ります、その頂点には東大があります」というモデルを前提にしたものだ。頭の中が古くて、話にならない。
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