リストラから奮起「プロレス美術館」作る60歳人生 自宅の一室をプロレス愛と熱狂が詰まった空間に

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また、自分のチケットを取っておくだけでなく、落ちているチケットも回収して収集。その日の試合内容に納得がいかない時、客が帰り道でチケットを捨てることが多々あったため、いつも下を向きながら歩き、チケットを探しながら試合会場を後にしていた。

こうしてコツコツと集めたグッズは宝物として大切に保管され、現在はプロレス美術館に展示されている。

瀬戸際からの逆転劇が美しいアントニオ猪木

チケット
道端に捨てられたチケットは、美術館のお宝と化している(写真:著者撮影)

湯沢さんがプロレスに熱狂していた頃、テレビも最も盛り上がっていた時代だった

土曜日の夜8時には、TBSではドリフターズが『8時だョ!全員集合』、フジテレビでは萩本欽一が司会の『欽ちゃんのドンとやってみよう!』が放送され、“土8戦争”と言われる視聴率争いが繰り広げられていた時代。特に、『8時だョ!全員集合』は最高視聴率50.5%を記録し、お茶の間の人たちをテレビに釘付けにした。

その裏側で、日本テレビでは全日本プロレス中継が流れていた。湯沢さんは欽ちゃんでもドリフでもなく、プロレスを見続けた。ワクワク感が抑えられず中継が始まる15分前にはテレビの前に座り、画面から流れる熱い戦いに胸が熱くなる日々を送っていた。

「そのときの僕は、アントニオ猪木の強さとか技の美しさに惹かれていました。大柄な外国人選手と戦って、負ける寸前までくるんですけど、そこから大どんでん返しで勝つというのがあるわね。そのスリルがたまらないんですわ」

レスラーがテーマ曲と共に入場してくるときは心がたまらなく躍った。

国際プロレス案内係腕章
国際プロレスの大会でアルバイトをしていたときの腕章(写真:著者撮影)
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